女給達

なにがなにやらわからないのよ――流行歌

 

彼女等(かのじょら)が、どんな暮しをしているか、
彼女等が、どんな心で生きているか、
私は此(こ)の目でよく見たのです、
はっきりと、見て来たのです。

彼女等は、幸福ではない、
彼女等は、悲しんでいる、
彼女等は、悲しんでいるけれどその悲しみを
ごまかして、幸福そうに見せかけている。

なかなか派手(はで)そうに事を行い、
なかなか気の利いた風にも立廻(たちまわ)り、
楽観しているようにさえみえるけれど、
或(ある)いは、十分図太くくらいは成れているようだけれど、

彼女等は、悲しんでいる、
内心は、心配している、
そして時に他(た)の不幸を聞及(ききおよ)びでもしようものなら、
「可哀相に」と云(い)いながら、大声を出して喜んだりするのです。

一九三五、六、六

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ひとくちメモ

「女給達」は
「日本歌人」の昭和10年(1935年)9月号に発表されました。
発行は昭和10年9月1日付けです。
 
詩篇末尾の「一九三五、六、六」で
制作日は
1935年(昭和10年)6月6日と確定されます。
 
同日制作の作品として
「初夏の夜」(在りし日の歌)
「吾子よ吾子」(未発表詩篇)があります。
 
女給を歌った詩を
詩人は
いくつか作っていますが
これを作った当時住んでいた
四谷・花園アパ-トには
女給も住んでいましたし
彼女らの往来も頻繁にありましたから
カフェに行かなくとも
詩人は女給と接触する機会があったはずです。
 
昭和7年
京橋のバー「ウィンゾアー」の女給坂本睦子に
詩人は高森文夫の伯母を通じて求婚し
断られた経歴があることは
年譜に載るほどよく知られたことですし
坂口安吾の小説「二十七歳」には
このころの詩人が
フィクションではありますが
ビビッドに描かれています。
 
この「女給達」にも
坂本睦子の面影があるのかも知れません。
 
冒頭のエピグラフ
「なにがなにやらわからないのよ――流行歌」は
昭和4年8月に封切られた
映画「愛して頂戴」の主題歌からの引用。
 
西条八十の作詞
蒲田音楽部(実際は中山晋平)の作曲
佐藤千夜子の歌唱で
映画の封切りと同時に
映画小唄「愛して頂戴」のタイトルの
レコードが発売されヒットしたそうです。
 
ひと目見たとき、好きになったの、よ
なにがなんだか、わからないの、よ
日ぐれになると、涙が出るの、よ
知らず知らずに、泣けてくるの、よ
     ねえ、ねえ、愛して頂戴ね、
     ねえ、ねえ、愛して頂戴ね。
 
の歌詞の第1番が
「新全集第1巻解題篇」に案内されています。
 
ちなみにこのレコードは
「懐かしの流行歌集『戦前戦中1』」として
日本ビクターから
平成7年に復刻発売されています。
 
「の、よ」の行末
「愛して頂戴ね」の繰り返しが
いかにも流行歌らしく
しかし
詩人が引用したのは
第2行「なにがなんだかないのよわからないの、よ」の
読点を省略したものでした。
 
この流行歌の
第2行に
詩人の感性は
動いたのでしょうか。
 
「女給達」は
センセーショナルに
好奇の目で見られがちな女給を
憐れむでなく
高見から見下す眼差しがなく
同悲同苦の位置から歌っているところに
やはり
詩人ならではの非凡さがあり
そこを読み過ごすことはできない作品です。


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