詩人は辛い

私はもう歌なぞ歌わない
誰が歌なぞ歌うものか

みんな歌なぞ聴いてはいない
聴いてるようなふりだけはする

みんなただ冷たい心を持っていて
歌なぞどうだったってかまわないのだ

それなのに聴いてるようなふりはする
そして盛んに拍手を送る

拍手を送るからもう一つ歌おうとすると
もう沢山といった顔

私はもう歌なぞ歌わない
こんな御都合な世の中に歌なぞ歌わない

―一九三五・九・一九―

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ひとくちメモ

「詩人は辛い」は
「現代と詩人」と同じような
「詩人論の詩」です。

「四季」の昭和10年11月号に発表され
制作は詩篇末尾にある通り
同年9月19日です。

詩人は
なぜこの時に
なぜ詩人論を歌わねばならなかったのでしょうか。

そこで状況ということが
視野に入ってきます。

この制作日と同日の日記に
「詩を二篇作り一篇を四季に送る」とあって
もう1篇が
「山上のひととき」(未発表詩篇)であることが
分かっていますし
この「山上のひととき」に続けて
「四行詩(山に登つて風に吹かれた)」が制作されたことが
分かっていますから
これら3篇の詩は
似たような状況で書かれたと
想定できますが……

昭和10年の6月7日に
詩人は
四谷の花園アパートから
そう離れてはいない市ヶ谷谷町へ引っ越していまして
この引っ越しが
どうもいつもの引っ越しとは異なる感じがあるのです。

新しい知人ができて
その人と深く交わりたくて
その人の住む近くに引っ越すという
いつも引っ越しと
この引っ越しは違う印象があるのです。

そのことと
「詩人は辛い」を歌った動機とは
関係がありそうだということを
記憶しておくことにします。

詩は、
その詩を歌った詩人が
どのように感じたり、
考えたりする詩人であるのかを
明らかにする
詩人論をたえず含むものでありますが

詩は、
いつも、理解されなかったり、
同じく、詩人も、
理解されなかったりするもので、
冗談じゃないよ、と
ひとこと言いたくなることが
しばしばあるようです。

ひとことどころじゃなくて、
思いっきり言いたいときに
詩人論の詩ができます。


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