深 更

あああ、こんなに、疲れてしまった……
――しずかに、夜(よる)の、沈黙(しじま)の中に、
揺(ゆ)るとしもないカーテンの前――
煙草(たばこ)喫うより能もないのだ。

揺るとしもないカーテンの前、
過ぎにし月日の記憶も失(う)せて、
都会も眠る、この夜(よ)さ一(ひ)と夜(よ)、
我や、覚めたる……動かぬ心!

机の上なる、物々(ものもの)の影、
覚めたるわが目に、うつるは汝等(なれら)か?
我や、汝等を、見るにもあらぬに、
机の上なる、物々の影。

おもわせぶりなる、それな姿態(したい)や、
これな、かなしいわが身のはてや、
夜空は、暗く、霧(けむ)りて、高く、
時計の、音のみ、沈黙(しじま)を破り。

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ひとくちメモ

「深更」は
「歴程」の昭和11年3月創刊号に初出の詩で
「童女」とともに掲載されました。
 
「童女」がそうであったように
「深更」も
「歴程」発表の第一次形態と
第二次形態である草稿があり
どちらが先に
制作されたのかは確定されていません。
 
一次形態と二次形態の二つの詩篇には
異同があり
「生前発表詩篇」に分類されるのは
第一次形態で
制作されたのは
昭和11年(1936年)3月から7月の間と推定されています。
 
「倦怠輓歌」のタイトルで
「閑寂」
「童女」
「白紙(ブランク)」
「お道化うた」とともに
「歴程」に発表された5篇の一つですから……
 
これらは
ダダイズムの時代から
歌ってきた
詩人のいわば主調音である
「倦怠(けだい)」を
真正面から歌っている詩群ということになります。
 
「深更」は
シンコウと読むのでしょうか。
真夜中(マヨナカ)
夜更け(ヨフケ)
丑満つ時(ウシミツドキ)のことです。
 
東京の市ヶ谷谷町は
現在でも
真夜中となれば
暗闇の濃い土地柄が残りますが
昭和初期の暗闇は
今の比較にならない漆黒の闇であったことでしょう。
 
妻・孝子、長男・文也は
とうに寝静まり
詩人は
電球の灯りの下で
原稿用紙に向かっています。
 
省線の音も
もう聞えてこない
深更です。
 
あーあ、くたびれてしまったもんだ
沈黙が支配し
カーテンが揺らぐこともない部屋で
詩人は
思索に耽り
煙草をふかすしかありません。
 
過ぎ去った日々の記憶もぼんやりしてしまい
ものみな眠る大都会の
この夜ばかりは
意識も冴え冴えと
詩人だけが
目覚めているのです。
 
私の心は動かない!
詩を歌うことに
一点の迷いはない!
 
机の上にある
インク瓶やら筆立てやら……
物の影ばかりが
冴えわたった私の目に飛び込んでくる
私が見ているのではないのに
机の上には
物の影があり……
 
思わせぶりな
姿、形であることよ
私の身の
かなしいなれの果てなのか
夜空は
暗く
霧が立ち込めて
高く……
 
柱時計が
時を刻む音だけが
沈黙(しじま)の世界を破っています。
 
夜更けの倦怠
シンコウのケダイ
 
夜の歌の
ケダイのメロディーです。
 
「朝の歌」を歌ってから
幾時間が流れたものでしょうか――。


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