郵便局

私は今日郵便局のような、ガランとした所で遊んで来たい。それは今日のお午(ひる)からが小春日和(こはるびより)で、私が今欲しているものといったらみたところ冷たそうな、板の厚い卓子(テーブル)と、シガーだけであるから。おおそれから、最も単純なことを、毎日繰返している局員の横顔!――それをしばらくみていたら、きっと私だって「何かお手伝いがあれば」と、一寸(ちょっと)口からシガーを外して云(い)ってみる位な気軽な気持になるだろう。局員がクスリと笑いながら、でも忙しそうに、言葉をかけた私の方を見向きもしないで事務を取りつづけていたら、そしたら私は安心して自分の椅子に返って来て、向(むこ)うの壁の高い所にある、ストーブの煙突孔(えんとつこう)でも眺めながら、椅子の背にどっかと背中を押し付けて、二服(ふたふく)ほどは特別ゆっくり吹かせばよいのである。

すっかり好(い)い気持になってる中に、日暮(ひぐれ)は近づくだろうし、ポケットのシガーも尽きよう。局員等(ら)の、機械的な表情も段々に薄らぐだろう。彼等(かれら)の頭の中に各々(めいめい)の家の夕飯仕度(ゆうはんじたく)の有様(ありさま)が、知らず知らずに湧(わ)き出すであろうから。

さあ彼等の他方見(よそみ)が始まる。そこで私は帰らざなるまい。

帰ってから今日の日の疲れを、ジックリと覚えなければならない私は、わが部屋とわが机に対し、わが部屋わが机特有の厭悪(えんお)をも覚えねばなるまい……。ああ、何か好い方法はないか?――そうだ、手をお医者さんの手のようにまで、浅い白い洗面器で洗い、それからカフスを取換えること!

それから、暖簾(のれん)に夕風のあたるところを胸に浮(うか)べながら、食堂に行くとするであろう……


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<span style=”color: #ff0000;”><b>ひとくちメモ</b></span>

「郵便局」は
中原中也が参加していた詩誌「四季」の
昭和12年2月号(昭和12年1月20日付け発行)に発表された作品で
制作は昭和11年(1936年)12月中旬と推定されていますが
初稿の制作年月は特定できません。

「散文詩四篇」と題して
同じ号に
「幻想」
「かなしみ」
「北沢風景」とともに
掲載されました。

昭和11年11月10日に
愛息・文也を亡くした詩人です。
その影響が
「郵便局」の内容に反映されているのか
断定的なことはいえませんが

繰り返し読んでみて
突然見舞われた悲しみ
といったような感情はかけらも見つけられず
冒頭行の
ガランとした所で遊んで来たい、にも
詩人の日常的な倦怠(けだい)が
感じ取れるばかりです。

長男文也の死以前に作りおいた詩篇の
散文詩ばかりを選んだのか
定型詩を4篇引っ張り出して
散文詩に作り直してから
「四季」に送ったものなのか
そのどちらかと考えるのが自然でしょうか――。

ほかの作品も一律に
そういうことがいえるわけではありませんが
「郵便局」は

わが部屋わが机特有の厭悪

とあるように
慣れ親しんだ詩作の場から
時には
逃げ出したくなるほどの
「嫌気」を覚えるものであることを歌っているもので
ここにも倦怠(けだい)があって
なんらかの事件の匂いはありません。

「正午―丸ビル風景」との類縁性が感じられますが
それは
この郵便局が
東京丸の内にある
中央郵便局を思い出させたからで
そう思い出させた理由は何もなく
ひらめいただけです。

この郵便局が
正午の丸の内ビルの一角にあっても
おかしくはなく
それならば中央郵便局としてもよいのですが

市ヶ谷谷町あたりの
もう少し小さな規模の郵便局を想定しても
的外れではありませんし
違った味わいが出てくるかもしれません。

初稿の制作が特定できないのですから
市ヶ谷でも丸の内でもない
ほかの郵便局である可能性もあり
場所を限定する意味は薄れてきます。


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