幻 想

草には風が吹いていた。

出来たてのその郊外の駅の前には、地均機械(ローラー・エンジン)が放り出されてあった。そのそばにはアブラハム・リンカン氏が一人立っていて、手帳を出して何か書き付けている。

(夕陽に背を向けて野の道を散歩することは淋しいことだ。)

「リンカンさん」、私は彼に話しかけに近づいた。

「リンカンさん」

「なんですか」

私は彼のチョッキやチョッキの釦(ボタン)や胸のあたりを見た。

「リンカンさん」

「なんですか」

やがてリンカン氏は、私がひとなつっこさのほか、何にも持合(もちあ)わぬのであることをみてとった。

リンカン氏は駅から一寸(ちょっと)行った処の、畑の中の一瓢亭(いちひょうてい)に私を伴(ともな)った。

我々はそこでビールを飲んだ。

夜が来ると窓から一つの星がみえた。

女給(じょきゅう)が去り、コックが寝、さて此(こ)の家には私達二人だけが残されたようであった。

すっかり夜が更けると、大地は、此の瓢亭(ひょうてい)が載っかっている地所(じしょ)だけを残して、すっかり陥没(かんぼつ)してしまっていた。

帰る術(すべ)もないので私達二人は、今夜一夜(ひとよ)を此処(ここ)に過ごそうということになった。

私は心配であった。

しかしリンカン氏は、私の顔を見て微笑(ほほえ)んでいた、「大丈夫(ダイジョブ)ですよ」

毛布も何もないので、私は先刻(せんこく)から消えていたストーブを焚付(たきつ)けておいてから寝ようと思ったのだが、十能(じゅうのう)も火箸(ひばし)もあるのに焚付がない。万事(ばんじ)諦(あきら)めて私とリンカン氏とは、卓子(テーブル)を中に向き合って、頬肘(ほうひじ)をついたままで眠ろうとしていた。電燈(でんとう)は全く明るく、残されたビール瓶の上に光っていた。

目が覚めたのは八時であった。空は晴れ、大地はすっかり旧に復し、野はレモンの色に明(あか)っていた。

コックは、バケツを提(さ)げたまま裏口に立って誰かと何か話していた。女給は我々から三米(メートル)ばかりの所に、片足浮かして我々を見守っていた。

「リンカンさん」

「なんですか」

「エヤアメールが揚(あが)っています」

「ほんとに」

(注)原文には、「ひとなつっこさ」に傍点がつけられています。

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ひとくちメモ

「幻想」は
「散文詩四篇」と題して
「郵便局」
「かなしみ」
「北沢風景」とともに
「四季」の昭和12年2月号(昭和12年1月20日付け発行)に
発表された作品。
制作は昭和11年(1936年)12月中旬と推定されていますが
初稿の制作年月は特定できません。

制作日が
昭和11年12月中旬であるならば
詩人が眼に入れても痛くはないというほどに可愛がっていた
長男文也の死の直後のことであり
その衝撃や悲しみが
表現されないことのほうが
不自然と考えるのが自然ですが
「幻想」にも
その痕跡すらがありません。

詩人は
深い悲しみにあって
即座には
詩を書くことができず
約束していた原稿を各所に渡すのが
精一杯のことだったのかもしれません。

そのために
書きためた草稿の中から
いくつかを選んで
推敲を加えてから
各誌へと送り届けたのかもしれません。

「幻想」は
愛息を失った悲しみが表れることはないのですが
アメリカ合衆国の第16代大統領リンカーンと
偶然にも同じホテルに泊って
古くからの友人ででもあるかのように
しみじみとした会話を交わす……

という設定の
不思議で
シュールで
幻想的な内容の詩ですが
これを
ソネットでも
文語詩でもなく
散文詩とし
あたかも小説の1シーンであるかのように創作したのは

そのこと自体が
悲しみを乗り越えようとした
詩人の意思の表現であったかもしれない
などと思えてきて
とりとめがありません。

この詩の中で
詩人は
言葉少なげに
リンカーンに話しかけます――。

「リンカンさん」
「なんですか」
「エヤアメールが揚つてゐます」
「ほんとに」

リンカーンも
言葉少なげに
応じます――。

詩の中の詩人と
リンカーンとが
同時に眺めいる「エヤメール」と
(「エヤーメール」は「エアーサイン=広告気球」の誤用と解釈されるのが普通です)
これを書いている詩人が見ている「エヤメール」に
悲しみの色が混じっていないとはいえませんし
悲しみの中に立ち上がる
心もとないけれど
確かである希望が
見えているのかもしれません。
いや
見ようとしているだけなのかもしれません。


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