渓 流

渓流(たにがわ)で冷やされたビールは、
青春のように悲しかった。
峰(みね)を仰(あお)いで僕は、
泣き入るように飲んだ。

ビショビショに濡(ぬ)れて、とれそうになっているレッテルも、
青春のように悲しかった。
しかしみんなは、「実にいい」とばかり云(い)った。
僕も実は、そう云ったのだが。

湿った苔(こけ)も泡立つ水も、
日蔭も岩も悲しかった。
やがてみんなは飲む手をやめた。
ビールはまだ、渓流(たにがわ)の中で冷やされていた。

水を透かして瓶(びん)の肌(はだ)えをみていると、
僕はもう、此(こ)の上歩きたいなぞとは思わなかった。
独り失敬(しっけい)して、宿(やど)に行って、
女中(ねえさん)と話をした。

(一九三七・七・一五)

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ひとくちメモ

1937年(昭和12年)7月15日に作られ、
同7月18日付け「都新聞」に発表された作品です。
長男文也を前年11月10日に亡くし
半年以上の月日が流れました。
中也は、この頃、帰郷の意志を固め、
「在りし日の歌」原稿を小林秀雄に託すのは、9月です。
10月に発病、同月末に死亡する詩人です。
 
なんとも美しい響きの作品で、
多くのファンが、この詩を
一番だ! と支持する声が聞こえてきます。
現代詩壇を牽引した一人
鮎川信夫も、
この詩には参っています。
 
青春のやうに悲しかつた。
と、中原中也以外のだれが歌っても
違和感を感じるような……。
なかなか、こうは、歌えません
 
この、泣き入るやうに飲んだ。 なんて詩句は
ビールの1杯目を飲むときの
誰しもが抱く快感のリアリズムそのものです。
だから、誰にも、歌えそうですけれど……。
青春のやうに悲しかつた。 という詩句とともに、
やっぱり、誰にも、歌えません。
もし歌ったら、
テレビCMのキャッチコピーだなんて
言われてしまいそうです。
 
だから、
やはり、この詩が、よいのは、
最終連。
 
最終連があるから、
1、2、3連が生きている
中原中也の詩になっているから
よいのです。
 
これが
「三歳の記憶」を歌った詩人と
同じ詩人の作品です。
 
中也は、
実に様々な経験を積み
実に様々な詩を書いたのです。
一本調子を辿る
日本現代詩史の源流に
滔々(とうとう)と流れる多旋律を刻んだのです。

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