ダダ音楽の歌詞

ウワキはハミガキ
ウワバミはウロコ
太陽が落ちて
太陽の世界が始った

テッポーは戸袋
ヒョータンはキンチャク
太陽が上って
夜の世界が始った

オハグロは妖怪
下痢はトブクロ
レイメイと日暮が直径を描いて
ダダの世界が始った

(それを釈迦(しゃか)が眺めて
それをキリストが感心する)

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ひとくちメモ

河上徹太郎は昭和13年に
「中原中也の手紙」(文学界10月号)を書きましたが
その時には「ダダ手帖」が手元にありましたから
引用した2篇の詩「タバコとマントの恋」と「ダダ音楽の歌詞」は
ほぼ完全なままで現在も読むことができるのですが
そのほかの「ダダ手帖」の作品は存在しません。
 
したがって
中原中也が
昭和初期までに書いたダダイズムの詩は
「ノート1924」に記録された詩篇を主にして
「タバコとマントの恋」と「ダダ音楽の歌詞」のほかに
未発表小説「分らないもの」(大正12年〜13年制作推定)の
中の詩「夏の昼」など
わずかしか読むことができません。 
 
「ダダ音楽の歌詞」は
「タバコとマントの恋」とともに
中原中也初期のダダ詩として
希少な作品ということになるのですが
ダダイスト高橋新吉を知って
「なんでもやっていいのだ」という
表現の自由を実践する16歳の詩人の
「飛び立つ思ひ」(詩的履歴書)が
そのまま詩になっているようでもあり
貴重です。
 
ダダを理解しない石頭たちに
盛んに挑発する若き詩人が
躍如としています。
  
それにしても
4−4−4−2のソネットが
この詩「ダダ音楽の歌詞」にはあります。
短歌以来の定型への意志が
なくなってしまったわけではない、というのか
すでに
ダダからの脱皮を図ろうとして
定型への意志が芽生えたのか——。
 
それでいて
自作「名詞の換言で日が暮れよう」(「春の日の怒」)や
高橋新吉「凡てのものは穿き替えられ得る」(「ダダイスト新吉の詩」)を
もろに反映して
 
ウワキはハミガキ
ウワバミはウロコ
 
とはじめるところや
 
(それを釈迦が眺めて
それをキリストが感心する)
 
の最終連などには
ダダイスト中原中也が躍動しています。


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