恋の後悔

正直(しょうじき)過ぎては不可(いけ)ません
親切過ぎては不可ません
女を御覧なさい
正直過ぎ親切過ぎて
男を何時(いつ)も苦しめます

だが女から
正直にみえ親切にみえた男は
最も偉いエゴイストでした

思想と行為が弾劾(だんがい)し合い
知情意(ちじょうい)の三分法がウソになり
カンテラの灯と酒宴との間に
人の心がさ迷います

ああ恋が形とならない前
その時失恋をしとけばよかったのです

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ひとくちメモ

1924年は大正13年
中原中也は
この年の4月
旧制の立命館中学の4学年に進級しました
4月29日の誕生日には
満17歳になります。
 
このころに
長谷川泰子と同棲するのですから
大胆といえば大胆
早熟といえば早熟
……
 
しかし
そんなに突飛なことでもなかったはずなのは
現在でも
日本の婚姻適齢は
男性18歳以上、
女性は16歳以上と
民法で定められていることですし
大正時代の早婚傾向を考えれば
中也17歳、泰子19歳――は
それほど不自然であったことでもありません。
 
「恋の後悔」は
「ノート1924」の2番目に記録された詩ですが
中原中也の詩作品の中で
初めて「女」という文字が
現れた詩ということは
記憶に留めておいて無駄ではないでしょう。
 
女を御覧なさい
正直過ぎ親切過ぎて
男を何時も苦しめます
 

第1連後半に
「女」は登場するのですが
このくだり
ダダの詩としては
いかにもストレートなものいいです。
 
第3連になって
 
思想と行為が弾劾し合ひ
知情意の三分法がウソになり
カンテラの灯と酒宴との間に
人の心がさ迷ひます。
 

ダダらしさはようやく露出します。
 
ここはそうむずかしく考えることはなく
詩人自身の分裂的状態
もしくは
詩人と女とがすれ違う様子が
思想と行為
知情意の三分法
カンテラと酒宴と表現されているだけのことでしょう
さ迷うのは
詩人および女という
一対の人
つまりペアです。
 
女は
あきらかに
泰子のことでしょうが
恋は
ぬかるみにはまっているほどではなく
さ迷う程度でありました。
 
最終連
 
あゝ恋が形とならない前
その時失恋をしとけばよかつたのです
 

恋が成就する以前を振り返り
あのころ失恋してしまえば
現在のこの苦しさはないはずだったのに、と
苦しさを歌いながら
苦しさよりも
恋=女を得て得意気な
現在の詩人の顔をのぞかせて
隠しようにありません。
 
「ノート1924」のダダ詩は
冒頭の「春の日の怒」
この「恋の後悔」
次の「不可入性」
その次の(天才が一度恋をすると)までの4篇は
同一の筆記具
同一の筆跡で記されているところから
同一の状況で作られたことが推察されるのですが
すべて「女」がらみ
すべて「恋愛詩」ということになります。

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