倦怠に握られた男

俺は、俺の脚だけはなして
脚だけ歩くのをみていよう――
灰色の、セメント菓子を噛(か)みながら
風呂屋の多いみちをさまよえ――
流しの上で、茶碗と皿は喜ぶに
俺はこうまで三和土(タタキ)の土だ――

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ひとくちメモ

何か面白いことないか
俺の目を楽しませてくれるものはないか。
俺が生きているって
体の芯から感じられるような
激しく熱く歯ごたえのある
何か
ナニカ
……

もの
モノ
こと
コト

ココロ
思想
シソウ
精神
セイシン
……
なんでもいい。

詩人は
足を棒にして
京都の街を歩きました。

特定の場所を求めて
そこに向って歩くというのではなく
目的目標があるわけでなく
面白いことがあれば
立ち止まり
そこで
友だちをつくり
じいさんと知り合いになり
ばあさんと語り
食らい
飲み
街を眺め
行く人々を観察し
路次に分け入り
また
歩き出します。

俺は、俺の脚だけはなして
脚だけ歩くのをみてゐよう――

棒になった
自分の足を
もてあまして
こんなふうに
倦んでいるにもかかわらず
歩くのは
歩くことが目的なのではないので
やめるわけにはいきません。

詩に会うまでは
倦怠は道連れ
旅の友
……

とはいえ
京都の街並みは
灰色の
セメント菓子を噛まされるようで
ついつい
土気色気のある
風呂屋のある道をさまよい――

やがて
部屋に戻れば
流しには
茶碗や皿が喜んでいる
泰子との暮らしがあるというのに
俺はそこへすんなりとは入って行けないで
入口に突っ立っている。

三和土の土だ

とは
セメント菓子に対する風呂屋
流し上の茶碗と皿に対する三和土の土
という対語で
セメント菓子も
流し上の茶碗と皿も
詩人がなじめないモノ
しっくりしないコト
詩人を疎外する世界を意味しているようです。

うんざりするものであっても
歩くことが
詩人に
もっとも似つかわしく
だから
詩人は
「倦怠に握られた男」なのです。

泰子との生活は
桃色というわけにはいきません。


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