真夏昼思索

化石にみえる
錯覚と網膜との衝突
充足理由律の欠乏した野郎
記憶力の無能ばかりみたくせに
物識(ものし)りになったダダイスト
午睡(ヒルネ)から覚めました
ケチな充実の欲求のバイプレーにジレッタニズム
両面から同時にみて価値のあるものを探す天才ヒステリーの言草(いいぐさ)
矛盾の存在が当然なんですよ
ジラ以上の権威をダダイストは認めませぬ
畳をポントケサンでたたいたら蝿が逃げて
声楽家が現れた

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ひとくちメモ

「真夏昼思索」には
解説を要する単語がいくつかありますから
角川全集編集者が付した語註を
まず見ておくことにします。
 
充足理由律=哲学用語で、事実が成立するには、十分な理由を要求するという原
理。
ヂラ=山口方言で、わがままの意。
ケサン=卦算。文鎮の一種。罫線を引くための定規としても使い、易の算木の格好を
していることからこの名がある。
 
では「ポント」とは何かとの語註はなく
それは「ポンと」という擬音語であることを推測せよ、と
いうことらしく
この他に
「バイプレー」「ヂレッタニズム」に語註を付しています
「バイプレー」は英語のbyplayで
わき(脇)の演技
「ヂレッタニズム」は
ジレッタンティズムdilettantismが正解で、好事趣味、道楽。
ジレッタント(好事家、こうずか)がよく使われます。
 
一つの詩で5件もの語註が付されるというのは
あまり例がなく
この詩が難解のレベルにあることを示すようですが
単語が理解できれば
詩全体が理解できるものでもありません。
 
化石とはアンモナイトとか三葉虫とか
理科の教科書に掲載されている図版がきっかけでしょうか。
詩人は中学4年生でありましたから
実験室に入る機会もあったでしょうし
授業のテーマになったこともあったのでしょうし
交友関係に理系の京大生がいたのかもしれません。
 
化石は
有史以前から存在するもので
「名辞以前」につながる
詩人独特のキーワードの一つです。
 
化石をじっと見ていると
いま見えているイマージュは
なんらかの錯覚ではないかと混乱しそうになる
よくあることだが
こういうのは
充足理由律の欠乏した野郎にありがちな傾向です
 
記憶力なんてなんの役にも立たないことを
いやというほど味わってきたくせに
懲りずに物知りになったダダイストさん
(詩人は自己を語っているのでしょう)
 
昼寝から目を覚ましました
(詩人はそれまで昼寝の中にあった、
という自覚にいたり
自己批判をはじめるのでしょうか)
 
(充足理由律を欠いている男であるから)
ケチな充実の欲求を満たすだけの脇役か
ジレッタントでしかありません
物事を両面から同時に見て
(相対的に見て)
価値のあるものを探そうとするのは
天才のヒステリーみたいな言い草です
 
矛盾というものは本来在るものなんです
在って当然なんです
 
駄々っ子の無理難題以上の発言を
ダダイストだって認めることはできないのです
 
畳をポンと音を出してケサンで叩いたら
ハエは逃げていき
声楽家が現れました
(歌うのが一番!)
 
ダダ詩を読むのは
不可能というものですが
真夏の正午近くの思索が跡づけられている感じに
元気さがありません。
 
1924年夏に作られた詩は
この詩をもって終わり
次の詩が書かれるまでに
空白期があります。
 
詩の外では
富永太郎との出会いがあり
富永の下宿近くへ
中原中也も下宿を変えます。
 
6月末に京都にやってきた富永は
12月に療養のために
帰京せざるを得なくなりますが
中也が下宿を変えるのは秋です。
 
毎日毎夜
こうして二人の詩人は
双方の下宿を往復し
詩論や芸術論を交わしたのです。
泰子もその場に居合わせることが多く
食事や酒の世話をして
二人の談論を楽しんだようです。
 
富永が中也に語って聞かせた
ランボーやベルレーヌらの詩活動に
ダダイスト詩人は
衝撃を受けることになりました。
 
「真夏昼思索」には
その衝撃の跡が見られるようですが
詩はドキュメンタリーではありませんので
事実の詳細を知ることはできません。
 
声楽家が現れた
 
という
この最終行に
歌=声楽を再発見した詩人を見るのは
出来すぎというものでしょうか――。


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