(人々は空を仰いだ)

人々は空を仰いだ
塀が長く続いてたために

天は明るい
電車が早く通ってったために

――おお、何という悲劇の
因子に充ち満ちていることよ

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ひとくちメモ

(人々は空を仰いだ)の制作は
1924年秋であり
前作「真夏昼思索」の制作が
1924年夏であるのに比べれば
季節が巡ったほどの
時間が経過しています。
 
「ノート1924」の作品は
これまでのところ
どれもが制作日時を特定できず
春制作か
春から夏にかけての間の制作か
夏制作か
秋制作か
日時の幅を取った推定しかできません。
中には
シーズンさえも特定できず
1924年制作(推定)とされるものも幾つかあります。
 
「真夏昼思索」を作ってから
しばらくの空白期をはさんで
この(人々は空を仰いだ)が作られたのには
理由があったようです――。
 
それまで
ダダイストを標榜(ひょうぼう)していた詩人が
ダダそのものに懐疑の眼差しを
向けざるを得なくなったためにです。
そのきっかけは
富永太郎との出会いでした。
 
命を懸けるに値する
ダダイズム以外の詩が
存在するということが驚きでしたが
それが古典主義の詩や
ロマン派の詩などでもなく
象徴詩と呼ばれる潮流であることを
富永から聞かされて
「ダダの絶対」を考え直す機会ができました。
 
人々は空を仰いだ
 
冒頭の1行は
詩人自身の感慨を反映しているかのようです。
これまで歩いてきた道のりか
これから歩いていこうとする道か
道沿いに続く塀は長く長く
思わず空を眺める姿勢になります。
 
天は、しかし、明るいものでした。
電車は早くから走っていたためにです。
 
このことを
詩人は
悲劇の因子に充ちた状態だ!と感じ取りました。
それは
一からやり直さなければなるまいと
悲劇に打ち勝とうとする決意の
ウラハラです。


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