木 蔭

神社の鳥居が光をうけて
楡(にれ)の葉が小さく揺すれる。
夏の昼の青々した木陰(こかげ)は
私の後悔を宥(なだ)めてくれる。

暗い後悔、いつでも附纏(つきまと)う後悔、
馬鹿々々しい破笑(はしょう)にみちた私の過去は
やがて涙っぽい晦暝(かいめい)となり
やがて根強い疲労となった。

かくて今では朝から夜まで
忍従(にんじゅう)することの他に生活を持たない。
怨みもなく喪心(そうしん)したように
空を見上げる、私の眼(まなこ)――

神社の鳥居が光をうけて
楡の葉が小さく揺すれる。
夏の昼の青々した木陰は
私の後悔を宥めてくれる。

(一九二九・七・一〇)

<スポンサーリンク>

ひとくちメモ

「木蔭」は
詩の末尾に
(一九二九・七・一〇)の日付をもつ作品
昭和4年7月10日に作られました
後に「山羊の歌」に収録される詩の
第一次形態です。

「夏(血を吐くやうな)」とともに
「詩二篇」として
「白痴群」第3号(昭和4年9月)の
巻頭ページに発表されました。

第一次形態の詩とは
初めに作られた作品のことで
推敲されて独立し
第二次形態となり
場合によっては
どこかのメディアに発表されますが
それがまた推敲され
ほかのメディアに発表されたり
友人に献呈されたりして
独立した第三次形態となり……
この「木蔭」のような
経緯をたどる作品になります。

これらの作品は
字句の修正や
句読点の追加削除などの結果
それぞれが
わずかながらでも違いがあるため
独立した詩として扱われ
「未発表詩篇」にも
分類・収容されるのです。

「ノート小年時」のここにきて
「未発表詩篇」でありながら
やがては
「白痴群」や
「山羊の歌」や
ほかの同人誌などに
発表されて
広く読まれる作品が
やや多く現れるようになりました。

「木蔭」のほかには
「消えし希望」(「山羊の歌」では「失せし希望」に改題)
「夏(血を吐くやうな)」(「山羊の歌」)
「夏と私」(同人誌「桐の花」)
「湖上」(同)が
やがて発表され
詩としてのポピュラリティーを得ます。

「木蔭」の推敲の跡をたどってみると
第一次形態の
第1連第3行と
第4連第3行の「木蔭」が
第二次形態では「木陰」に変更され
第二次形態の句読点をすべて削除したものが
第三次形態になりました。

「木蔭」は
有名な「帰郷」の
「ああ おまへはなにをして来たのだと……
吹き来る風が私に云ふ」を想起させますが
こちらには
東京での詩人としての暮らしに起因する
深い疲労から解放されず
忍従の日々を送る詩人がいますが……

帰郷が詩人に与えた慰藉(いしゃ)に
重心があります
故郷の神社の
楡の木蔭が
くたびれた詩人をなぐさめるのです。


<スポンサーリンク>