追 懐

あなたは私を愛し、
私はあなたを愛した。

あなたはしっかりしており、
わたしは真面目であった。――

人にはそれが、嫉(ねた)ましかったのです、多分、
そしてそれを、偸(ぬす)もうとかかったのだ。

嫉み羨(うらや)みから出発したくどきに、あなたは乗ったのでした、
――何故(なぜ)でしょう?――何かの拍子……

そうしてあなたは私を別れた、
あの日に、おお、あの日に!

曇って風ある日だったその日は。その日以来、
もはやあなたは私のものではないのでした。

私は此処(ここ)にいます、黄色い灯影に、
あなたが今頃笑っているかどうか、――いや、ともすればそんなこと、想っていたりするのです

(一九二九・七・一四)

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ひとくちメモ

さうしてあなたは私を別れた、
あの日に、おお、あの日に!

曇つて風ある日だつたその日は。その日以来、
もはやあなたは私のものではないのでした。

「追懐」は
第5連、第6連で
長谷川泰子が
小林秀雄のもとへと去った日を
まず、あの日、
次に、その日、と歌い
もはや過去のことながら

あなたが今頃笑つてゐるかどうか、

などと思い出してしまう
私=詩人の現在を歌います。

もちろん詩に
個人名は現れません。
あなたが泰子で
人が小林で
私(わたし)が中原中也であることは
だれもが想像できることですが
内容がリアル過ぎたためか
当時に作品は
発表されませんでした。

現在このようにして
この詩が読めるということが
著作権とか
時効であるとか
公人であることからとか
法律方面から説明されるようですが
実際は
角川版新旧全集に「未発表詩篇」が
編集されたからにほかなりません。

個人情報とか
プライバシーとか
というよりも
文学作品としての価値が認められ
いはば公共財として
だれにも読める状態になりました。

中原中也=長谷川泰子=小林秀雄の三角関係は
稀有(けう)のようでありながら
ありふれたことでもあり
その意味で
三角関係の一つの原型を提示していますから
多くの人がこぞって
その物語を紐解こうともするのです。

昭和4年(1929年)7月14日の制作
ということは
あの日、大正14年(1925年)11月から
3年8か月が経過しています。

この頃
詩人と小林は絶交状態にあり
泰子と詩人は京都に旅行する関係にありました。
小林が泰子と別れたのは
昭和3年(1928年)5月のことです。

この頃詩人は
同人誌とはいえ自らの裁量がきく「白痴群」に
泰子を歌った恋愛詩
「詩友に」(創刊号、後の「無題」第3節)
「盲目の秋」(第6号)
「時こそ今は……」(同)
などを
次々に発表するのです。


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