雨と風

雨の音のはげしきことよ
風吹けば ひとしおまさり
風やめばつと和(なご)みつつ

雨風のさわがしき音よ
――悲しみに呆(ほう)けし我に、
雨風のさわがしき音よ!

悲しみに呆けし我の
思い出はかそけきものよ
それに似て巷(ちまた)も家も
雨風にかすんでみえる

そがかすむ風情(ふぜい)の中に、
ちらと浮むわがありし日は
風の音に吹きけされつつ
雨の音と、我(あ)と、残るのよ

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ひとくちメモ

「悲しき画面」では、
括弧にくくられた過去が、
歌われましたが、
『過去』と表記して
それが純然たる過去ではなく、
現在につながっている過去
というニュアンスを含ませたかったのでしょうか……

「雨と風」では、
純然たる過去
すなわち、思い出となった過去が
歌われます。

激しい雨の音がして
風が吹くとき
雨の音はひときわ大きくなり
風がやめば
一瞬は雨音は和やかになりはしますが……

騒がしい雨の音よ
悲しみで呆けた僕には
なんと騒がしい雨の音だことか!

悲しみ呆けした僕の
カナシミボケシタボクノ
遠い日の思い出は消え入りそうだよ
それに似て
街も家も
雨風の中にうっすらと霞んで見える

そんなふうに
霞んだ景色の中に
ちらっと一瞬浮かんでくる
僕の遠い過去の日々は
風の音に吹き消されてしまって
雨の音と
僕とが
取り残されるのさ

最終連第2行の

ちらと浮むわがありし日は

の「ありし日」は、
やがて、
詩集「在りし日の歌」というタイトルへと
連なっていく、
さまざまな過去のかたちの、
さまざまな思い出のかたちの、
一つです。

この「雨と風」は、
詩人によって、
繰り返し推敲(すいこう)され、
「風雨」という作品になりましたが、
この推敲の過程で、
二つの作品が出来上がった状態になり、

その二つの作品は、
どちらも
未完のままともいえるし、
どちらも
完成間近ともいえる、
独立した作品になりました。


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