(吹く風を心の友と)

吹く風を心の友と
口笛に心まぎらわし
私がげんげ田を歩いていた十五の春は
煙のように、野羊(やぎ)のように、パルプのように、

とんで行って、もう今頃は、
どこか遠い別の世界で花咲いているであろうか
耳を澄ますと
げんげの色のようにはじらいながら遠くに聞こえる

あれは、十五の春の遠い音信なのだろうか
滲むように、日が暮れても空のどこかに
あの日の昼のままに
あの時が、あの時の物音が経過しつつあるように思われる

それが何処(どこ)か?――とにかく僕に其処(そこ)へゆけたらなあ……
心一杯に懺悔(ざんげ)して、
恕(ゆる)されたという気持の中に、再び生きて、
僕は努力家になろうと思うんだ――

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ひとくちメモ

風雨にかき消されそうになる思い出を
「雨と風」「風雨」で歌って
今度、その思い出は
より具体的になり、
詩人15歳の春へと
場面を移します。

げんげの咲く田んぼを
歩いている
あの15歳の春……

春の強い風をむしろ心の友にして
口笛吹いて
いつしか心の中に巣食った
悲しみをまぎらわし

げんげ田を
歩いていた
あの15歳の春は

煙にでもなったかのように
野羊にでなったかのように
パルプでもなったかのように……

飛んで行って
どこか他の遠い別の世界にでも行ってしまって
また花を咲かせているだろうか
今こうして、耳を澄ませば
あの時のげんげの花の色のように
恥じらいながら遠くに聞こえている

あれは
15歳の春からやってくる
遠い音の便りなのだろうか
滲むように
日が暮れても空のどこかに
あの日の昼のままそっくり
あの時が
あの時の物音が移ろっているように思えてくる

それがどこか?どこなのか?
とにかく僕はそこへ行けたらなあ……
そしたら
心の底から懺悔して
許されたという気持ちの中に
再び生きて
僕は努力家になろうと思います

中原中也の15歳は
大正11年(1922年)で
山口中学2年生で、
学年末の大正12年3月には、
落第が決まります。
「文学に耽りて落第す」と
その理由を、後年、
詩人は、「詩的履歴書」に記しました。


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