材 木

立っているのは、材木ですじゃろ、
野中の、野中の、製材所の脇。

立っているのは、空の下(もと)によ、
立っているのは材木ですじゃろ。

日中(ひなか)、陽をうけ、ぬくもりますれば、
樹脂(やに)の匂いも、致そというもの。

夜(よる)は夜とて、夜露(よつゆ)うければ、
朝は朝日に、光ろというもの。

立っているのは、空の下によ、
立っているのは、材木ですじゃろ。

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ひとくちメモ

中原中也は、
山口の実家に帰省中の1932年の8月初旬、
足を延ばして
詩友、高森文夫の実家、宮崎県東臼杵を訪ねました。
それから二人して
延岡、青島、天草、長崎を旅行し
その後、単身、山口へ戻り
金沢経由で帰京しました。

「夏休み」みたいなことをしたのですが
「材木」という詩は
この宮崎訪問の時
東臼杵東郷町の若山牧水記念館へ行った帰り道
目にした製材所がモデルです。

高森文夫本人の証言などから
明らかになっていることですが
なぜ製材所が詩になるのかというところが、
いかにも中原中也らしく
中原中也という詩人が
製材所を詩にしてしまう詩人であることを
あらためて
発見するきっかけになる詩です。

詩人はこの時

「この村に製材所を建て、二人でやろうじゃないか。君も学校なんかやめちまって村に帰って暮らせよ。松脂の匂でも嗅ぎながら……。」

――と、高森に語ったことが知られています。
(「新編中原中也全集第2巻詩Ⅱ解題篇」)

第3連、
日中(ひなか)、陽をうけ、ぬくもりますれば、 
    樹脂(やに)の匂ひも、致そといふもの。 

とあるように
詩人は
樹脂の匂いや香りに
特別の感情を抱いていたことは
出世作「朝の歌」の
樹脂の香に朝は悩まし、にも見られることです。

立つてゐるのは、空の下(もと)によ、 
    立つてゐるのは材木ですぢやろ。 

このリフレインは
単純で何の変哲もありませんが
そういえば
材木屋さんて見かけなくなったなあ、と
郷愁を誘い
あの木屑の香りが
都会の町中にも流れていた日があったんだ、と
ノスタルジアが乗り移り
詩人と同じ姿勢に
なっていたりはしませんですか?


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