(ああわれは おぼれたるかな)

ああわれは おぼれたるかな
物音は しずみゆきて
燈火(ともしび)は いよ明るくて
ああわれは おぼれたるかな

母上よ 涙ぬぐいてよ
朝(あした)には 生みのなやみに
けなげなる小馬の鼻翼
紫の雲のいろして
たからかに希(ねが)いはすれど
たからかに希いはすれど
轣轆(れきろく)と轎(くるま)ねりきて
――――――――
澄みにける羊は瞳
瞼(まぶた)もて暗きにいるよ
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ひとくちメモ

(あゝわれは おぼれたるかな)は
「朝の歌」の第3次形態が記された原稿用紙の裏に 
鉛筆で書かれているということですから 
俄(にわ)かに 
第一詩集「山羊の歌」に占める「朝の歌」という作品
いや、中原中也という詩人の詩業に占める 
「朝の歌」という作品の大きさに思い致し 
その草稿の裏に書かれ詩なのだ 
ということに襟をたださずにはいられません。 
襟をたださなくとも 
おやっと、目を向けざるを得ません。 

「朝の歌」は 
第3次形態に 
わずかの修正を加えただけで 
印刷用の草稿に書き直され 
「山羊の歌」に収録されました。(第4次形態) 

その第3次形態の「朝の歌」」が書かれた 
原稿用紙の裏に 
(あゝわれは おぼれたるかな)は書かれた 
ということは 

「朝の歌」にてほゞ方針立つ。方針は立つたが、たつた十四行書くために、こんな手数がかかるのではとガツカリす」(詩的履歴書) 

――と後に、詩人が回想した 
「詩を作る苦闘」の 
陽の目を見た「朝の歌」と 
陽の目を見なかった(あゝわれは おぼれたるかな) 
ととらえられるという意味で 
興味深いのです。 

陽の目を見なかった作品が 
未発表詩篇には 
ひしめいています。


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