燃える血
1
ふくらはぎを眺めながら
燃える血のことを思った。
雨の霽(は)れ間(ま)をオルガンは
鳴っている。
ふくらはぎを眺めながら
僕はたらちねのことを思った。
雨の霽れ間をオルガンは
鳴っている。
ああ、おもい出すおもい出す、
小学校のころのこと……
小学校のかえりみち……
雑嚢(ざつのう)はほんに重かった!
雨の霽れ間をオルガンは、
僕を何処(どこ)まで追っかける。オルガンは
雨を含んだ風にのり
小さな僕の耳に泣く。
2
何時(いつ)でも何時でも僕の血は
燃えていた。友達よ、
君と話しているいまも、僕の血は
あんまり燃えて困るのだ。
血はあんまり燃え、そのことは
僕にあっては一つの事象だ。
君と話している時も、だから話と血の燃焼、
僕は二つの事象にかかわっている。
友達よ、もし僕の目付(めつき)が悪いとしても、
そのせいだ。燃ゆる血は、
何時も空中に音を探し、すがすがしさをせちにもとめ、
心の労作(ろうさ)のそのまえに、まず燃える血を
鎮(しず)めなければならぬのだ、何時も何時も……
それゆえ自然は懐しく、人の虚栄は眩(まぶ)しいばかり……
(一九三三・八・二一)
3
燃ゆる血よ、僕をどうしようというのだ?
夏の真昼の、動かぬ雲よ……
動かぬ雲も無花果(いちじく)の葉も、
僕をどうしようというのだろう?
鳴いている蝉も、照りかえす屋根も、
僕の血に沁み、堪えざらしめる。
燃ゆる血よ、僕をどうしようというのだ?
感じ感じて、それだけで死んでゆけばよいというのか?
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ひとくちメモ
「燃える血」が歌うのは
脹脛と書いて
フクラハギと読む
ふくらはぎのことです。
肉離れのことでしばしば話題になる
足の脛(すね)の裏側のやわらかい部分。
中原中也には
タブーがないといってよいほど
なんでも
詩の素材にしてしまう
一種の才能があり、
実はこれは
中原中也の詩の
本質的な部分に関わる
重大で重要な特徴であることに気づきます。
日常生活の中に転がっている
手垢の付いた言葉を
詩にしてしまうのが
中原中也の詩であるとよく言われるあたりとも
このことはクロスするところです。
風化した言葉にこそ
詩は発生するみたいな考えとも
通じる部分。
ふくらはぎは
走ったり運動したりするときに使う筋肉だから
燃える血みたいなものだから
それをじっと見ているだけで
よく走りよく飛び回った
少年時代を思い出すことになり……。
1
ふくらはぎを眺めながら
僕は
燃える血のことを思う
すると
雨の晴れ間に流れてくるオルガンの響きを思い出し
母さんを思い出し
いつしか
小学校のころへワープしています。
小学校の帰り道
しょってるカバンは重かった
余計なガラクタを詰め込んで
学校に行ったからか
図工の時間に作った作品が
返ってきたからか
カバンがパンパンにふくれた日がありましたね
オルガンの響きが
重たいカバンをしょって走る僕を
追っかけてくる
雨を含んだ風に乗って
オルガンが僕の耳元で泣いている
2
いつでも僕の血は燃えていたよ
友よ、君と話しているその間も
僕の血は燃えていて
困ってしまうよ
血はあんまり燃えるので
そのこと自体が一つの事象だし
君と話している時には
話すということと
血の燃焼ということの
二つの事象に関わっていることになる
友達よ
もし僕の目付きが悪かろうと
そのせいだよ
燃える血は
いつも空中に音を探し
すがすがしさを切に求め
心が働く前に
まず燃える血を鎮めなければならない
いつもいつも
だから自然は懐かしく
人の虚栄はまぶしいばかり……
3
燃える血よ
僕をどうしようというのだ
夏の真昼の、動かぬ雲よ
動かぬ雲もいちじくの葉も
僕をどうしようというのだろう
鳴いている蝉も
照り返す屋根も
僕の血に沁み、
こらえることが出来ない
燃える血よ
僕をどうしようというのだ
感じて感じて感じて感じて
それだけで死んでゆけばよいとでも言うのか――。
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