いちじくの葉

夏の午前よ、いちじくの葉よ、
葉は、乾いている、ねむげな色をして
風が吹くと揺れている、
よわい枝をもっている……

僕は睡(ねむ)ろうか……
電線は空を走る
その電線からのように遠く蝉(せみ)は鳴いている

葉は乾いている、
風が吹いてくると揺れている
葉は葉で揺れ、枝としても揺れている

僕は睡ろうか……
空はしずかに音く、
陽は雲の中に這入(はい)っている、
電線は打つづいている
蝉の声は遠くでしている
懐しきものみな去ると。

(一九三三・一〇・八)


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ひとくちメモ



1933年10月8日制作の
「いちぢくの葉」を読むとき、
ただちに、
同じタイトルで
1930年秋に書かれた作品を
思い出します。

そちらは
夕方のいちぢくの葉でしたが
こんどは
朝のいちぢくの葉です。

夕方のいちぢくの葉を歌って
第1連
美しい、前歯一本欠け落ちた
をみなのやうに、姿勢よく
ゆうべの空に立ちつくす

――という、表現の
大胆さ、新しさ、ユニークさに
衝撃を受けたのですが
こんどの、この朝のいちぢくの葉にも
見事と言ってよいフレーズを見つけて
感激します。

それは
第3連
葉は葉で揺れ、枝としても揺れてゐる
です。

いちぢくが
葉は葉で揺れているのですが、
全体が、木としても揺れている
という
いちぢくの木立への
繊細な観察眼!

第1連の
葉は、乾いてゐる、ねむげな色をして
も、ピタリと
いちぢくという植物を
中原中也流に捉え
デリケートかつナイーブです。

こういうことを
まずはじめに感じさせる詩ですが
この詩がたどりついた
詩作品としての豊かさについては
ほかにも
多くのことが言えそうです。

言えそうですが
一言では言えない
不思議な世界があり
それは何かと考えていくと
一つだけ
思い当たること――

それは
いちぢくという植物がまずあり
風にそれが揺れていて
電線もうなっていて
太陽は雲の陰にかくれ
その上
蝉がしきりに鳴いている

この役者ぞろいの風景!

それが
調和している世界
ハモッている世界
混沌としながら
コスモスを創り出している世界
……

その上になお
最終行
懐しきものみな去ると。
という決定打!

現前する空間に
時間軸が
突き刺さってきても
びくともしない……

未発表詩篇の中の
またしても名作の一つです。


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