蹲 踞

やがてして、兄貴カロチュス、胃に不愉快を覚ゆるに、
軒窗に一眼(いちがん)ありて其れよりぞ
磨かれし大鍋ごとき陽の光
偏頭痛さへ惹起(ひきおこ)し、眼(まなこ)どろんとさせるにぞ、
そのでぶでぶのお腹(なか)をば布団の中にと運びます。

ごそごそと、灰色の布団の中で大騒ぎ、
獲物(えもの)啖(く)ったる年寄さながら驚いて、
ぼてぼての腹に膝をば当てまする。
なぜかなら、拳(こぶし)を壺の柄と枉げて、
肌着をばたっぷり腰までまくるため!

ところで彼氏蹲(しゃが)みます、寒がって、足の指をば
ちぢかめて、麺麭(パン)の黄を薄い硝子に被(き)せかける
明るい日向にかじかんで。
扨(さて)お人好し氏の鼻こそは仮漆(ラック)と光り、
肉出来の珊瑚樹かとも、射し入る陽光(ひかり)を厭います。

お人好し氏は漫火(とろび)にあたる。腕拱み合せ、下唇を
だらりと垂らし。彼氏今にも火中に滑り、
ズボンを焦し、パイプは消ゆると感ずなり。
何か小鳥のやうなるものは、少しく動く
そのうららかなお腹(なか)でもって、ちょいと臓物みたいなふうに!

四辺(あたり)では、使い古るした家具等の睡り。
垢じみた襤褸(ぼろ)の中にて、穢(けが)らわし壁の前にて、
腰掛や奇妙な寝椅子等、暗い四隅(よすみ)に
蹲(うずく)まる。食器戸棚はあくどい慾に
満ちた睡気をのぞかせる歌手(うたいて)達の口を有つ

いやな熱気は手狭(てぜま)な部屋を立ち罩(こ)める。
お人好し氏の頭の中は、襤褸布(ぼろきれ)で一杯で、
硬毛(こわげ)は湿った皮膚の中にて、突っ張るようで、
時あって、猛烈可笑しい嚏(くさめ)も出れば、
がたがたの彼氏の寝椅子はゆれまする……

その宵、彼氏のお臀(しり)のまわりに、月光が
光で出来た鋳物の接合線(つぎめ)を作る時、よく見れば
入り組んだ影こそ蹲(しゃが)んだ彼氏にて、薔薇色の
雪の配景のその前に、たち葵(あおい)かと……
面白や、空の奥まで、面(つら)はヴィーナス追っかける。

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ひとくちメモ

中原中也が「蹲踞」と訳したAccroupissementsは
ランボーが1871年5月15日付けで
ポール・デメニーに宛てた書簡に添付した詩篇の一つです。

デメニーは
ランボーが通うシャルルビル高等中学校の
修辞学級担当教師であったジョルジュ・イザンバールの
知人であり詩人でした。
美しく清書された22の詩篇をデメニーに送ったのは
ランボーの頭の中にそれらが1巻の詩集の形になってほしい、という
淡い望みがあったかららしいのですが
その望みは叶えられることはありませんでした。

自作の詩を自筆で清書したこの年は1870年
ランボー16歳のときのことでした。
後に、この詩篇群が書かれた原稿を
校訂・整理したノートが「ドゥエ詩帖」と呼ばれ
ランボーの前期韻文詩篇の半数を占めます。
15歳から17歳までに作られた44篇の詩は
前期韻文詩篇として分類されますから
「ドゥエ詩帖」にはピタリその半分の詩が収められていることになります。

「蹲踞」を「そんきょ」と読むのは
日本の古典武道の剣道や相撲などで
「蹲踞の姿勢(そんきょのしせい)」と紹介されてポピュラーですが
あの「蹲踞」と同じことで
動物が後ろ足を折って身構える意味の「うずくまる」は
漢字「蹲る=うずくまる」「踞る=うずくまる」を合せて熟語としたものが
日本に輸入されました。
平たくいえば「しゃがむ」という仕草の名詞形です。

フランス語で
accroupirは動詞形
accroupissementsは名詞形で
名詞形であることによって
この詩の「諧謔性」とか「反語性」が強調されているもので
中原中也もそこを汲んで名詞形のタイトルに訳したようです。

ちなみに
金子光晴は「しゃがむ」
西条八十は「しゃがみこんで」
粟津則雄は「しゃがみこんで」
宇佐美斉は「うずくまって」です。

さて、「うづくまる」という動作は
いったいなんなのか――という疑問を持ったところで
この詩を読んでいくことになりますが
冒頭行に出てくる「兄貴カロチュス」がその主語であるようです。

 ◇

やがて、兄者カロチュス、胃の調子が悪くなり
窓から外に一目やったその時だった
磨かれた大鍋のような陽の光に
偏頭痛さえ起こして、眼をドロンとさせては
そのでぶでぶのお腹をかかえて布団の中に運んだのでした。

ゴソゴソと、灰色の布団の中で大騒ぎ(大苦戦!)
獲物に喰らいついた年寄りさながら驚いて
ボテボテの腹に膝を当てました。
なぜなら、拳固を壷の柄のようにして曲げて
肌着をたっぷり腰までまくり上げるためでした!

としたところで、彼氏、しゃがみます、寒がって、足の指を
縮かめて、パンの黄色を薄いガラスにかぶせます
明るい日向に縮かんだまま。
さてお人よしの彼氏の鼻はテカテカに光って
肉でできた珊瑚樹かと間違えるほど、差し込む光を嫌います。

 ◇

「兄貴カロチュス」は
原典の第二次ペリション版が
修道士ミロチュスであるべきところを誤記したため
幾分か、聖職者風刺のニュアンスをそいでしまったようですが
この詩が
ランボーの聖職者への痛烈な批判・罵倒であることが
少しは読めたことでしょうか。

でぶっちょの聖職者カロチュスが
しゃがんで
どんなことをしているのか
どんな不様な姿をさらしているのか――。

 ◇

「それでは、敬虔な歌を一つお目にかけて、しめくくることにしましょう」と
ランボーはデメニーへの書簡の中に記して
自作のこの詩を案内しているそうです。
(「新編中原中也全集・第3巻 翻訳・解題篇」より)

ひとくちメモ その2

中原中也訳の「蹲踞」Accroupissementsを
ひきつづき読みます。

 ◇

でぶっちょの聖職者カロチュスが
しゃがんで
なんとも不様な姿をさらしているのがみえてきますが
ランボーの「描写」は容赦がありません――。

 ◇

お人よしの彼氏はトロトロ燃える暖炉にあたる。腕を組み合わせ、下唇を
だらりと垂らし。彼氏、今にも火の中に滑り込みそうになるほど火に近づき
ズボンを焦がしてしまうので、パイプの火が消えそうになるのに気づくのだ。
何か小鳥のようなものが、少し動く
そのうららかな太鼓腹の上で、ちょいと臓物のよう。

あたりでは、使い古した家具などが静かに息をひそめている。
垢にまみれたボロの中に、汚れた壁の前に
壁掛けや奇妙な格好した寝椅子などが、暗い四隅に
蹲っている。食器戸棚は強欲に
満ちた眠気をのぞかせる歌手たちの口つきだ。

いやな熱気が狭苦しい部屋に立ち込めている。
お人よしの彼氏の頭の中は、ボロ布で一杯
剛毛は湿った皮膚の中に、突っ張っていて
しばらくすれば、猛然と馬鹿みたいなくしゃみするので
ガタガタの彼氏の寝椅子は揺れるのです……

 ◇

時おり、得体の知れないモノが登場しますが
それは読み手の想像力に任せておくほうが
この詩にかぎらずよい結果になることでしょう

あいまいなモノではありません
合理的で必然的なモノばかりです
ランボーはリアリストであり
シュールレアリストです

 ◇

その宵のこと、彼氏のお尻のまわりには、月光が
光でできた鋳物の継ぎ目をつくる時、よく見れば
入り組んだ影こそしゃがんだ彼氏で、バラ色の
雪を借景にして、タチアオイかと……
なんとも面白いことに、空の奥まで、ビーナスを追っかける表情してる。

 ◇

「それでは、敬虔な歌を一つお目にかけて、しめくくることにしましょう」と
ランボーがドメニーへの書簡の中に記した
「敬虔な歌」が以上です。

聖職者カロチュスのある冬の夜のプライバシーを暴き出し
同情の一抹も見せずに描く手元に迷いはなく
一枚の製図を仕上げる確かさがあります。

中原中也の訳も
そのあたりを上手にすくっていて
淡々としています。


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