七才の詩人

母親は、宿題帖を閉じると、
満足して、誇らしげに立去るのであった、
その碧い眼に、その秀でた額に、息子が
嫌悪の情を浮べているのも知らないで。

ひねもす彼は、服従でうんざりしていた
聡明な彼、だがあのいやな顔面痙搐患っており、
その目鼻立ちの何処となく、ひどい偽嬌を見せていた。
壁紙が、黴びった廊下の暗がりを

通る時には、股のつけ根に拳(こぶし)をあてがい
舌をば出した、眼(めんめ)をつぶって点々(ぼちぼち)も視た。
夕闇に向って戸口は開いていた、ランプの明りに
見れば彼、敷居の上に喘いでいる、
屋根から落ちる天窗(てんまど)の明りのその下で。
夏には彼、へとへとになり、ぼんやりし、
厠(かわや)の涼気のその中に、御執心にも蟄居(ちつきょ)した。
彼は其処にて思念した、落付いて、鼻をスースーいわせつつ。

様々な昼間の匂いに洗われて、小園が、
家の背後(うしろ)で、冬の陽光(ひかり)を浴びる時、彼は
壁の根元に打倒れ、泥灰石に塗(まみ)れつつ
魚の切身にそっくりな、眼(め)を細くして、
汚れた壁に匍(は)い付いた、葡萄葉(ぶどうば)の、さやさやさやぐを聴いていた。
いたわしや! 彼の仲間ときた日には、
帽子もかぶらず色褪せた眼(め)をした哀れな奴ばかり、
市場とばかりじじむさい匂いを放(あ)げる着物の下に
泥に汚れて黄や黒の、痩せた指をば押し匿し、
言葉を交すその時は、白痴のようにやさしい奴等。
この情けない有様を、偶々(たまたま)見付けた母親は
慄え上って怒気含む、すると此の子のやさしさは
その母親の驚愕に、とまれかくまれ身を投げる。
母親だって嘘つきな、碧い眼(め)をしているではないか!

七才にして、彼は砂漠の生活の物語(ロマン)を書いた。
大沙漠、其処で自由は伸び上り、
森も陽も大草原も、岸も其処では燿(かがや)いた!
彼は絵本に助けを借りた、彼は絵本を一心に見た、
其処にはスペイン人、イタリヤ人が、笑っているのが見られるのだった。
更紗(サラサ)模様の着物著た、お転婆の茶目の娘が来るならば、
——その娘は八才で、隣りの職人の子なのだが、
此の野放しの娘奴(め)が、その背に編髪(おさげ)を打ゆすり、
片隅で跳ね返り、彼にとびかかり、
彼を下敷にするというと、彼は股(もも)に噛み付いた、
その娘、ズロース穿いてたことはなく、
扨、拳固でやられ、踵(かかと)で蹴られた彼は今、
娘の肌の感触を、自分の部屋まで持ち帰る。

どんよりとした十二月の、日曜日を彼は嫌いであった、
そんな日は、髪に油を付けまして、桃花心木(アカジユ)の円卓に着き、
縁がキャベツの色をした、バイブルを、彼は読むのでありました。
数々の夢が毎晩寝室で、彼の呼吸を締めつけた。
彼は神様を好きでなかった、鹿ノ子の色の黄昏(たそがれ)に場末の町に、
仕事着を着た人々の影、くり出して来るのを彼は見ていた
扨其処には東西屋がいて、太鼓を三つ叩いては、
まわりに集る群集を、どっと笑わせ唸らせる。
彼は夢みた、やさしの牧場、其処に耀(かがよ)う大浪は、
清らの香(かおり)は、金毛は、静かにうごくかとみれば
フッ飛んでゆくのでありました。

彼はとりわけ、ほのかに暗いものを愛した、
鎧戸(よろいど)閉めて、ガランとした部屋の中、
天井高く、湿気に傷む寒々とした部屋の中にて、
心を凝らし気を凝らし彼が物語(ロマン)を読む時は、
けだるげな石黄色の空や又湿った森林、
霊妙の林に開く肉の花々、
心に充ちて——眩暈(めくるめき)、転落、潰乱、はた遺恨!——
かかる間も下の方では、街の躁音(さやぎ)のこやみなく
粗布(あらぬの)重ねその上に独りごろんと寝ころべば
粗布(あらぬの)は、満々たる帆ともおもわれて!……

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ひとくちメモ

「私は一つの他者である」というのなら
「あそこにいるあの人は私である」ということですし
「あなたは私である」ということもできれば
「私はあなたである」といえるし
「他者は私である」ということができるのでしょうか――。

「七才の詩人」Les Poètes de sept ansに現われる
「息子」や「彼」、つまり「七才の詩人」が
ランボー自身であることに
七面倒くさい説明は不要でしょう。

「彼」は「私」であり
「私」は「彼」であるという交換可能な自由は
詩を書く7歳の少年が
早くもロマンの中で獲得したものであるという伝記的事実を
この詩が語っていますし
この自由によって
ランボーはここで「7歳の詩人」ですが
ほかの詩では「船」(「酔ひどれ船」)であり
ほかの詩では「半獣神」(「フォーヌの頭」)でもあります。

「七才の詩人」もまた
「ランボオ詩抄」に収録されず
「ランボオ詩集」にいきなり初めて収録された詩篇の一つです。

ということは、つまり
制作日時に関して
「教会に来る貧乏人」と同様のことがいえる作品であるということになり
「晩年」の制作が推定されますが、
この詩の
昭和5年に発表された小林秀雄の訳があることも
非常に興味の引かれるところです。

中原中也は「晩年」に鎌倉に住んでいたのですが
鎌倉は小林秀雄が住んでいた土地でもありまして
この地で二人は頻繁に行き来しましたし
中原中也が小林秀雄訳の「七才の詩人」を読んでいる可能性は高いのです。

小林秀雄も「七才の詩人」と訳しており
中原中也と同じタイトルですが
散文詩の形にしているところが
いかにも小林秀雄流です。

小林秀雄訳の
第1連だけを読んでみれば

 やがて、「母親」は、宿題の本をふせ、満足して、如何にも得意げに出て行つた。碧い眼のうちで、でこぼこの一杯ある額の下で、息子の心が、糞でも喰へ、と構えてゐるのも知らないで。

――となります。(「角川新全集」より)

ランボー少年の母の
厳しいしつけは
軍人だった父との疎遠な関係とともに語り草のひとつですが
冒頭に出てくる「宿題帖」には
「聖書」の意味が込められていると読むことができるそうです。
(「角川新全集」)

ひとくちメモ その2

ランボー少年の母ヴィタリーの厳しいしつけは
軍人だった父との疎遠な関係とともに語られがちですが
ランボーの父フレデリックは母ヴィタリーと
ランボーが6歳のときに離婚していますし
離婚以前も軍務の関係で帰郷することがほとんどなく
したがってランボーは父と会った記憶をほとんど持たなかったのですが
だからといっていいのでしょう
数少ない「父体験」に精神的な影響を強く受けていることが知られています。

ランボーが自宅の屋根裏部屋で
父のものである書物
――アルジェリアに関する資料や
アラビア語に関する参考書や
「コーラン」の仏語訳文書や
新聞記事のスクラップなどを発見したのは
12歳の時のことでした。

これらを読んだランボー少年が受けたインパクトは
想像してみるだけで心躍るものがありますが
父フレデリックの「教養」が
やがてランボー少年の「夢」となって膨れあがっていったことをも
想像することは容易なことです。

「七才の詩人」Les Poètes de sept ans
第5連に現われる「砂漠」が
父フレデリックによって開かれた
ランボー少年の「夢」をそのまま歌ったものと断定することはできませんが
屋根裏部屋で見たアラビアやアフリカのイメージが

七才にして、彼は砂漠の生活の物語(ロマン)を書いた。
大沙漠、其処で自由は伸び上り、
森も陽も大草原も、岸も其処では燿(かがや)いた!

――と、詩になったとしてもいっこうに不思議なことではありません。

7歳の詩人の詩は
しかし、意外な世界に踏み込んでいき
息を飲まずにいられない展開をみせます。

彼は絵本に助けを借りた、彼は絵本を一心に見た、
其処にはスペイン人、イタリヤ人が、笑つてゐるのが見られるのだつた。

――と、続くのは「本」の世界、ロマンの世界の発見の物語ですが、

その本の中の世界から
一人の少女が現われて
「片隅で跳ね返り、彼にとびかゝり、
彼を下敷にする」というドラマが飛び出します

すると、彼は
(少女の)「股(もゝ)に噛み付いた」のです。
その少女は、ズロース(下着)をはいていなかったのです
彼は、少女に拳固を食わされ、ヒールで蹴られ
(ほうほうのていで)自分の部屋に退散しますが
彼の全身に、
少女の柔らかな肌の感触が残っていた、
……というように歌われるのです。

ひとくちメモ その3

「七才の詩人」Les Poètes de sept ansの第5連に現われる
更紗模様の着物を着た、お転婆でお茶目な
娘は8歳で、隣りの職人の子で
野放しで、おさげ髪を背中に揺らしている女の子が
実際に存在した人物か
それとも砂漠の生活のロマンの中に生きているのか
突如、登場しますから
読者はその正体を知ろうとしてこのシーンに釘付けにされるのですが
じっくりと読み込んでいるうちに
それがリアルな生活の中のエピソードであろうとなかろうとどうでもよく
どちらであってもいいのではないか、と思えてくれば
ランボーの詩世界に入り込んでいることになるでしょうか――。

往々にして
8歳の娘とのこの格闘シーンの結末を
フロイト流に分析したがる誘惑を抑えがたいのですが
ここではそんな分析にかまけるよりも
このシーンの鮮烈なイメージを味わうことだけに集中していたほうがよさそうです。

19世紀末の北フランスの豊かではない片田舎の
年頃8歳の娘が
隣りの職人の子であっても
農民の子どもであっても
ノーズロースで放課後を過ごしているのを想像することは
それほど難しいことではありませんし
フランスでなく
日本という国でも
下着をつけていなかった娘たちの話題はいくらでも転がっています。

そんなことよりも何よりも

此の野放しの娘奴(め)が、その背に編髪(おさげ)を打ゆすり、
片隅で跳ね返り、彼にとびかゝり、
彼を下敷にするといふと、彼は股(もゝ)に噛み付いた、
その娘、ズロース穿いてたことはなく、
扨、拳固でやられ、踵(かかと)で蹴られた彼は今、
娘の肌の感触を、自分の部屋まで持ち帰る。

――と、中原中也が訳した詩句を噛みしめていれば
詩の言葉が詩の言葉以外に置き換えられることがないという
詩の原理のことが思い出されてきて
そのことを考えることのほうが
有益であるはずです。

続く第6連は
髪を油で整えて行かせられた日曜礼拝で
キャベツ色の聖書を無理矢理読ませられた苦痛、
その夜の夢に現れる神の物語の息苦しさが歌われ、
その帰り道か、
田舎の町の場末の通りには労働者が繰り出し
時には、東西屋が太鼓叩いて小さなショーを演じ
群がる通行人がドーッと笑う活気あふれる光景に出会っては
窮屈な神の世界と引き換えに
希望のようなものを得たような気分になる7歳の詩人が描かれます。

そして最終第7連では

鎧戸閉めて、ガランとした部屋の中、
天井高く、湿気に傷む寒々とした部屋の中にて、
心を凝らし気を凝らし彼が物語(ロマン)を読む
詩人誕生の時が刻まれるのです。

ひとくちメモ その4

中原中也が「七才の詩人」Les Poètes de sept ansを訳したのは
昭和11年(1936)から同12年の間のことと推定されていますから
2012年の今から、およそ75年前のことになります。

昭和5年(1930)には
小林秀雄の翻訳が発表されていますから
中原中也が、この小林訳を読んだことが想像されますが
確証されてはいません。

ただ、第6連に
「桃花心木(アカジュ)」とあるのは、
最近の訳では
「マホガニー」とされる場合が多く、
また「東西屋」とあるのも
小林、中原訳に限られていて
ほかに例がないので
中原中也が小林訳を参照し踏襲した可能性が高いということは言えそうですが
これも断言できるものではありません。

小林秀雄と中原中也が
タイトルを「七才の詩人」として
「七歳の詩人達」と複数形に訳さなかったのも同じ、
「歳」とせず「才」としたのも同じですが、
似通っているのはこの程度で
ほかは、まったくと言ってよいほどに
別個の個性で捉えられた表現になっていることは
当たり前のことながら
注目しておきたいところです。

小林秀雄は「七才の詩人」を
散文詩として訳出する無理を侵しているということもありますが
詩の言葉が「寝ている」ようで
中原中也の言葉が
逆に「立っている」のが際立ちます。

いちいち例を挙げるまでもありませんが
一つだけ
中原中也の「七才の詩人」が傑出しているところを指摘しておけば
最終連の最終行です。
ここが小林秀雄訳と異なるのは必然ですが
戦後・最近の多くの訳とも異なって
詩の末尾にふさわしい「立ち方」で
詩を終えています。

うまい料理が
具材の一つひとつの味が立っているように!

ひとくちメモ その5

中原中也訳の「七才の詩人」Les Poètes de sept ansの
詩の末尾にこだわったのですから
他の翻訳もざっとここで見ておきましょう。

詩の終わり方がよければすべてはよい、
などとは、
詩に限ってこそ言えるようなことではないはずですが
終わりの行には、あまねく表現者の苦闘の跡が見られるかもしれませんし
眺めているだけでも壮観ですし、面白くもありますし。

いま、手元にあるものだけを
掲げます。

中原中也訳
七才の詩人

かゝる間も下の方では、街の躁音(さやぎ)のこやみなく
粗布(あらぬの)重ねその上に独りごろんと寝ころべば
粗布(あらぬの)は、満々たる帆ともおもはれて!……

小林秀雄訳
七才の詩人

 下に街の喧騒をきき乍ら、彼は、唯一人、粗末な布きれの上に寝ころんで、切ないまでに、満々たる帆を予覚した。

村上菊一郎訳
七才の詩人たち

――下界に高まる巷のざわめきを
よそに、――彼はただ一人、生布(きぬの)の敷布に寝ころんで、
はげしくも帆布を予感してゐたのだ!

金子光晴訳
七歳の詩人たち

 はるか低く、衢(ちまた)のざわめきがきこえてくるけれど、
彼はひとり粗(あら)いシーツのうえにころがり、
その布から、切ないばかり帆布をなつかしむのであった!

堀口大学訳
七歳の詩人たち

階下にざわめく巷(ちまた)のもの音は聞き流し
ただひとり、粗布(あらぬの)のシーツの上に横たわり
はげしくも帆布(ほぬの)を予感したとやら!……

西条八十訳
七歳の詩人たち

――階下に街の騒音が聞える時、
彼は巻いた布地(きれじ)の上にひとり寝ころび
海をゆく帆の幻を烈しく予感していた!

粟津則雄訳
七歳の詩人たち

――下の方では、町のざわめきがきこえて
いたが――、彼はただひとり、巻いた生布(きぬの)に
寝そべって、烈しく帆布を予感していた!

鈴木創士訳
七歳の詩人たち

――下のほうで、町のざわめきが聞こえているあいだ、
――たったひとりで、継ぎはぎの生の布地の上に寝そべって、
烈しく帆船を予感するのだ!

宇佐美斉訳
七歳の詩人たち

――下の方では 街のざわめきがしているが その間も――
ただひとりかれは 生麻布(きあさ)のベッドカバーに寝ころんで
船の帆の到来をはげしく望み見ているのだった

鈴村和成訳
七歳の詩人たち

――その間も街のざわめきが昇って来て、
下方で、――ただひとり、何枚かの生成りの麻布に
寝そべって、はげしく帆布を予感していた!

ひとくちメモ その6

小林秀雄は

詩の道を選ばず
散文家の道を行き
日本国で評論文学を大成しますが
まだ、そうした選択が決定的になる以前
詩に取り組んだ時期があります。

結果、ランボーの翻訳でも
韻文詩に取り組み
酩酊船、
渇の喜劇、
堪忍、
オフィリヤ、
谷間に眠る男――と
幾つかを残したのですが
中に「七才の詩人」があり
これを散文詩として訳出しました。

小林秀雄訳の「ランボオ詩集」(創元社、昭和23年)に
「七才の詩人」は収録されず
以後も「未定稿扱い」にされますが
昭和5年発行の「詩・現実」に発表されて
それが「新編中原中也全集」(角川)に
同時代訳として掲出されているのを読むことができます。

参考までに同書から
小林秀雄訳の「七才の詩人」を引用・掲出しておきます。

韻文詩を散文詩に訳すという試みが
ユニークなどと言われ
持ち上げられたりしますが
いかがなものでしょうか
詩句が寝ころんでしまって
味が立っていない料理みたいな響きがありはしませんか。

中原中也訳と読み比べるだけでも
スリリングですし
いろいろな発見もできそうですし
詩を読む楽しさをサポートしてくれることでしょう。

 ◇

七才の詩人
小林秀雄訳

 やがて、「母親」は、宿題の本をふせ、満足して、如何にも得意気に出て行つた。碧い眼のうちで、でこぼこの一杯ある額の下で、息子の心が、糞でも喰へ、と構へてゐるのも知らないで。

 一日中、彼は唯々として汗をかいてゐた。随分利口な子なのだが、陰鬱な顔面の痙攣や、どことはない面ざしは、苛立たしい嬌飾を語つてゐる様だつた。
壁紙に黴の生えた廊下を伝ひ、物蔭を通る時、彼は舌を出し、股のつけ根に拳固を二つくらはせて、閉ぢた眼の裏に、点々(ぼちぼち)を見た。
戸口は夕闇に放たれてゐた。屋根からぶらさがつた明窓の入江の下に、欄干にいす倚つて、苦し気に息をついてゐる、彼の姿が、ランプの火影に照らされて彼方(むかう)に見えた。
とりわけ、夏はへこたれて、馬鹿みたいに、強情に、冷え冷えとした便所に閉ぢこもり、鼻の孔をふくらませ、森閑として、物思ひにふけつたものだ。
様々な昼間の臭ひに洗はれて、家の背後(うしろ)で小園が、冬の陽を浴びる時、彼は壁下に身を構へて、肥料用の泥灰石に埋れて、とりどりの夢を見ようと、魚の切身の様な片眼を圧し潰し、疥癬を病んで壁上に拡つた、葡萄の枝々のざわめきに耳を傾けた。
彼に親しい仲間といつては、可愛相に頬のうえのに光沢(つや)のない眼を据ゑた、帽子もかぶらぬ、身窄しい子供等だけだつた。市場のいやな臭ひのする、色もすつかり褪せちやつた着物の下に、黄色く、黒く、泥によごれた、痩せた指を、おしかくし、白痴の様な優しさで、言葉をかはすのであつた。この穢らは憐憫の現場をみつけては、母親は慄え上つた、子供の深い幼(いとけな)さが、彼女の驚きに武者振りついた、よろしい、彼女だつて碧い眼なんだ、――例の嘘つきの。
七つになつて、彼は大沙漠の生活の上に、様々な物語を織つた。恍惚とした「自由」や、森や、太陽や、岸や、草原が、きらきら光を放つた。彼は、絵本で、赤く染つたイスパニア人やイタリヤ人が笑つてゐるのを眺めて奮発した。
更紗模様の着物を着て、道化た、茶眼の、隣の職人とこの八つになる小娘だが、この野放しの小娘が片隅で、組毛を振り乱して、彼の背中に躍り上つた。彼は下敷きになつたのだが、どうせ娘は猿股なんかはいてた事はない。彼はお尻に咬み附いてやつた。こんな時には、彼は、娘の肌の舌触りを、部屋まで持つて帰つた。

 彼の嫌ひな、十二月の物悲しい日曜には、頭に煉脂(ポマド)を塗つて、桃花心木(アカジュ)の円卓の上で、生キヤベツ色の縁をした聖書を読むのであつた。毎晩、様々な夢が、寝室で彼の呼吸を妨げた 彼は「神様」が嫌ひであつた。彼は、鹿子色の黄昏に、仕事着を着た、黒い人影が、場末の町にくり出して来るのを眺めた、東西屋が、三遍がかり、太鼓のどろどろ打ちをすると、看板をかこんだ群集が、笑つたり、唸つたりする。
彼の夢みたものは、恋しい牧場であつた、燦々とした波のうねり、清らかな香気、黄金の繊毛、静かに動いては、飛翔する。

 暗鬱なものものを、彼はとりわけ噛みしめた。苛々(いらいら)と湿気をふくみ、丈高く、赤裸の室に鎧戸をしめ、物語を読む時は、彼の思ひは絶え間なく、重たげな石黄色の空や氾濫する森や延び拡がつた天体の林に咲く生肉の花に満されて、――眩暈と崩壊、潰乱と憐憫。
下に街の喧騒をきき乍ら、彼は、唯一人、粗末な布きれの上に寝ころんで、切ないまでに、満々たる帆を予覚した。

 *

 七才の詩人
中原中也訳

母親は、宿題帖を閉ぢると、
満足して、誇らしげに立去るのであつた、
その碧い眼に、その秀でた額に、息子が
嫌悪の情を浮べてゐるのも知らないで。

ひねもす彼は、服従でうんざりしてゐた
聡明な彼、だがあのいやな顔面痙搐患つてをり、
その目鼻立ちの何処となく、ひどい偽嬌を見せてゐた。
壁紙が、黴びつた廊下の暗がりを

通る時には、股のつけ根に拳(こぶし)をあてがひ
舌をば出した、眼(めんめ)をつぶつて点々(ぼちぼち)も視た。
夕闇に向つて戸口は開いてゐた、ラムプの明りに
見れば彼、敷居の上に喘いでゐる、
屋根から落ちる天窗の明りのその下で。
夏には彼、へとへとになり、ぼんやりし、
厠(かはや)の涼気のその中に、御執心にも蟄居した。
彼は其処にて思念した、落付いて、鼻をスースーいはせつゝ。

様々な昼間の匂ひに洗はれて、小園が、
家の背後(うしろ)で、冬の陽光(ひかり)を浴びる時、彼は
壁の根元に打倒れ、泥灰石に塗(まみ)れつゝ
魚の切身にそつくりな、眼(め)を細くして、
汚れた壁に匍ひ付いた、葡萄葉(ぶだうば)の、さやさやさやぐを聴いてゐた。
いたはしや! 彼の仲間ときた日には、
帽子もかぶらず色褪せた眼(め)をした哀れな奴ばかり、
市場とばかりぢぢむさい匂ひを放(あ)げる着物の下に
泥に汚れて黄や黒の、痩せた指をば押し匿し、
言葉を交すその時は、白痴のやうにやさしい奴等。
この情けない有様を、偶々見付けた母親は
慄へ上つて怒気含む、すると此の子のやさしさは
その母親の驚愕に、とまれかくまれ身を投げる。
母親だつて嘘つきな、碧い眼(め)をしてゐるではないか!

七才にして、彼は砂漠の生活の物語(ロマン)を書いた。
大沙漠、其処で自由は伸び上り、
森も陽も大草原も、岸も其処では燿(かがや)いた!
彼は絵本に助けを借りた、彼は絵本を一心に見た、
其処にはスペイン人、イタリヤ人が、笑つてゐるのが見られるのだつた。
更紗模様の着物著た、お転婆の茶目の娘が来るならば、
――その娘は八才で、隣りの職人の子なのだが、
此の野放しの娘奴(め)が、その背に編髪(おさげ)を打ゆすり、
片隅で跳ね返り、彼にとびかゝり、
彼を下敷にするといふと、彼は股(もゝ)に噛み付いた、
その娘、ズロース穿いてたことはなく、
扨、拳固でやられ、踵(かかと)で蹴られた彼は今、
娘の肌の感触を、自分の部屋まで持ち帰る。

どんよりとした十二月の、日曜日を彼は嫌ひであつた、
そんな日は、髪に油を付けまして、桃花心木(アカジユ)の円卓に着き、
縁がキャベツの色をした、バイブルを、彼は読むのでありました。
数々の夢が毎晩寝室で、彼の呼吸を締めつけた。
彼は神様を好きでなかつた、鹿ノ子の色の黄昏(たそがれ)に場末の町に、
仕事着を着た人々の影、くり出して来るのを彼は見てゐた
扨其処には東西屋がゐて、太鼓を三つ叩いては、
まはりに集る群集を、どつと笑はせ唸らせる。
彼は夢みた、やさしの牧場、其処に耀(かゞよ)ふ大浪は、
清らの香(かをり)は、金毛は、静かにうごくかとみれば
フツ飛んでゆくのでありました。

彼はとりわけ、ほのかに暗いものを愛した、
鎧戸閉めて、ガランとした部屋の中、
天井高く、湿気に傷む寒々とした部屋の中にて、
心を凝らし気を凝らし彼が物語(ロマン)を読む時は、
けだるげな石黄色の空や又湿つた森林、
霊妙の林に開く肉の花々、
心に充ちて――眩暈(めくるめき)、転落、潰乱、はた遺恨!――
かゝる間も下の方では、街の躁音(さやぎ)のこやみなく
粗布(あらぬの)重ねその上に独りごろんと寝ころべば
粗布(あらぬの)は、満々たる帆ともおもはれて!……

(角川書店「新編中原中也全集 第3巻 翻訳」より)
※ ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。編者。


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