最初の聖体拝受

そりゃあもう愚劣なものだ、村の教会なぞというものは
其処に可笑(おか)しな村童の十四五人、柱に垢をつけながら
神聖なお説教がぽつりぽつりと話されるのを聴いている、
まこと奇妙な墨染の衣、その下では靴音がごそごそとしている。
ああそれなのに太陽は木々の葉越しに輝いている、
不揃いな焼絵玻璃(やきえがらす)の古ぼけた色を透して輝いている。

石は何時でも母なる大地を呼吸している。
さかりがついて荘重に身顫いをする野原の中には
泥に塗(まみ)れた小石の堆積(やま)なぞ見受けるもので、
重ったるい麦畑の近く、赫土の小径の中には
焼きのまわった小さな木々が立っていて、よくみれば青い実をつけ、
黒々とした桑の樹の瘤(こぶ)や、怒気満々たる薔薇の木の瘤、

百年目毎に、例の美事な納屋々々は
水色か、クリーム色の野呂で以て塗換えられる。
ノートル・ダムや藁まみれの聖人像の近傍に
たとえ異様な聖物はごろごろし過ぎていようとも、
蠅は旅籠屋や牛小舎に結構な匂いを漂わし
日の当った床からは蝋を鱈腹詰め込むのだ。

子供は家に尽さなければならないことで、つまりその
凡々たる世話事や人を愚鈍にする底の仕事に励まにゃならぬのだ。
彼等は皮膚がむずむずするのを忘れて戸外(そと)に出る、
皮膚にはキリストの司祭様が今し効験顕著(あらたか)な手をば按(お)かれたのだ。
彼等は司祭様には東屋の蔭濃き屋根を提供する
すると彼等は日焼けした額をば陽に晒させて貰えるというわけだ。

最初(はじめて)の黒衣よ、どらやきの美しく見ゆる日よ、
ナポレオンの形をしたのや小判の形をしたの
或いは飾り立てられてジョゼフとマルトが
恋しさ余って舌(べろ)を出した絵のあるものや
ーー科学の御代にも似合(ふさ)わしかろうこれらの意匠ーー
これら僅かのものこそが最初の聖体拝受の思い出として彼等の胸に残るもの。

娘達は何時でもはしゃいで教会に行く、
若い衆達から猥(わい)なこと囁かれるのをよいことに
若い衆達はミサの後、それとも愉快な日暮時、よく密会をするのです。
屯営部隊のハイカラ者なる彼等ときては、カフェーで
勢力のある家々のこと、あしざまに云い散らし、
新しい作業服着て、恐ろしい歌を怒鳴るという始末。

扨、主任司祭様には子供達のため絵図を御撰定遊ばした。
主任司祭様の菜園に、かの日暮時、空気が遠くの方から
そこはかとなく舞踏曲に充ちてくる時、
主任司祭様には、神様の御禁戒にも拘らず
足の指がはしゃぎだすのやふくらはぎがふくらむのをお感じになる……
ーー夜が来ると、黒い海賊船が金の御空に現れ出ます。

司祭様は郊外や豊かな町々の信者達の間から
名も知れぬ一人の少女を撰り出しなされた
その少女の眼は悲しげで、額は黄色い色をしていた。
その両親は親切な門番か何かのようです。
《聖体拝受のその日に、伝導師の中でもお偉い神様は
この少女の額に聖水を、雪と降らしめ給うであろう。》

最初の聖体拝受の前日に、少女は病気になりました。
上等の教会の葬式の日の喧噪(けんそう)よりも甚だしく
はじめまず悪寒が来ました、ーー寝床は味気なくもなかった、
並(なみ)ならぬ悪寒は繰返し襲って来ました、《私は死にます……》

恋の有頂天が少女の愚かな姉妹達を襲った時のように、
少女は打萎れ両手を胸に置いたまま、熱心に
諸天使や諸所のエス様や聖母様を勘定しはじめました、
そして静かに、なんとも云えぬ喜びにうっとりするのでありました。

神様!……ーー羅典(ラテン)の末期にありましては、
緑の波形(なみがた)ある空が朱(あけ)色の、
天の御胸(みむね)の血に染(し)みた人々の額を潤おしました、
雪のような大きな麻布は、太陽の上に落ちかかりました!ーー

現在の貞潔のため、将来の貞潔のために
少女はあなたの『容赦(みゆるし)』の爽々(すがすが)しさにむしゃぶりついたのでございますが、
水中の百合よりもジャムよりももっと
あなたの容赦(みゆるし)は冷たいものでございました、おおシオンの女王様よ!

それからというもの聖母ははや書物(ほん)の中の聖母でしかなかった、
神秘な熱も時折衰えるのであった……
退屈(アンニュイ)や、どぎつい極彩色や年老いた森が飾り立てる
御容姿(みすがた)の数々も貧弱に見え出してくるのであった、

どことなく穢(けが)らわしい貴重な品の数々も
貞純にして水色の少女の夢を破るのであった、
又脱ぎ捨てられた聖衣の数々、
エス様が裸体をお包みなされたという下著をみては吃驚(びっくり)するのでありました。

それなのになおも彼女は願う、遣瀬なさの限りにいて、
歔欷(すすりなき)に窪んだ枕に伏せて、而も彼女は
至高のお慈悲のみ光の消えざらんよう願うのであった
扨涎(よだれ)が出ました……ーー夕闇は部屋に中庭に充ちてくる。

少女はもうどうしようもない。身を動かし腰を伸ばして、
手で青いカーテンを開く、
涼しい空気を少しばかり敷布や
自分のお腹(なか)や熱い胸に入れようとして。

夜中目覚めて、窓はいやに白っぽかった
灯火(ひかり)をうけたカーテンの青い睡気のその前に。
日曜日のあどけなさの幻影が彼女を捉える
今の今迄真紅(まっか)な夢を見ていたっけが、彼女は鼻血を出しました。

身の潔白を心に感じ身のか弱さを心に感じ
神様の温情(みなさけ)をこころゆくまで味わおうとて、
心臓が、激昂(たかぶ)ったりまた鎮まったりする、夜を彼女は望んでいました。
そのやさしい空の色をば心に想いみながらも、

夜(よる)、触知しがたい聖なる母は、すべての若気を
灰色の沈黙(しじま)に浸してしまいます、
彼女は心が血を流し、声も立て得ぬ憤激が
捌(は)け口見付ける強烈な夜(よる)を望んでいたのです。

扨夜(よる)は、彼女を犠牲(にえ)としまた配偶となし、
その星は、燭火(あかり)手に持ち、見てました、
白い幽霊とも見える仕事着が干されてあった中庭に
彼女が下り立ち、黒い妖怪(おばけ)の屋根々々を取払うのを。

彼女は彼女の聖い夜(よる)をば厠(かわや)の中で過ごしました。
燭火(あかり)の所、屋根の穴とも云いつべき所に向けて
白い気体は流れていました、青銅色の果(み)をつけた野葡萄の木は
隣家(となり)の中庭(にわ)のこっちをばこっそり通り抜けるのでした。

天窗は、ほのぼの明(あか)る火影(あかり)の核心
窓々の、硝子に空がひっそりと鍍金している中庭の中
敷石は、アルカリ水の匂いして
黒い睡気で一杯の壁の影をば甘んじて受けているのでありました……

誰か恋のやつれや浅ましい恨みを口にするものぞ
また、潔い人をも汚すというかの憎悪(にくしみ)が
もたらす所為を云うものぞ、おお穢らわしい狂人等、
折も折かの癩が、こんなやさしい肉体を啖(くら)わんとするその時に……

さて彼女に、ヒステリックな錯乱がまたも起って来ますというと
彼女は目(ま)のあたり見るのです、幸福な悲愁の思いに浸りつつ、
恋人が真っ白い無数のマリアを夢みているのを、
愛の一夜の明け方に、いとも悲痛な面持(おももち)で。

《御存じ? 妾(あたし)が貴方を亡くさせたのです。妾は貴方のお口を心を、
人の持ってるすべてのもの、ええ、貴方のお持ちのすべてのものを
奪ったのでした。その妾は病気です、妾は寝かせて欲しいのです
夜(よ)の水で水飼われるという、死者達の間に、私は寝かせて欲しいのです

《妾は稚(わか)かったのです、キリスト様は妾の息吹をお汚しなすった、
その時妾は憎悪(にくしみ)が、咽喉(のど)までこみあげましたのです!
貴方は妾の羊毛と、深い髪毛に接唇(くちづけ)ました、
妾はなさるがままになっていた……ああ、行って下さい、その方がよろしいのです、

《男の方々(かたがた)は! 愛情こまやかな女というものが
汚い恐怖(おそれ)を感(おぼ)える時は、どんなにはじしめられ、
どんなにいためられるものであるかにお気付きならない
又貴方への熱中のすべてが不品行(あやまち)であることにお気付きならない!

《だって妾の最初の聖体拝受は取行われました。
妾は貴方の接唇(くちづけ)を、お受けすることは出来ません、
妾の心と、貴方がお抱きの妾のからだは
エス様の腐った接唇でうようよしてます!》

かくて敗れた魂と悲しみ悶える魂は
キリストよ、汝が呪詛の滔々と流れ流れるを感ずるのです、
ーー男等は、汝が不可侵の『憎悪』の上に停滞(とどま)っていた、
死の準備のためにとて、真正な情熱を逃れることにより、

キリストよ! 汝永遠の精力の掠奪者、
父なる神は二千年もの間、汝が蒼白さに捧げしめ給うたというわけか
恥と頭痛で地に縛られて、
動顛したる、女等のいと悲しげな額をば。

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ひとくちメモ

「最初の聖体拝受」Les Premières Communionsは
9節30連で構成される
長い詩です。
第1節が、1連が6行で7連、
第2節が、1連6行で1連、
第3節以下第9節までが、1連4行で22連あります。
原詩も同様の構成です。

ランボーは、1866年の復活祭に
最初の聖体拝受を行いましたが
兄フレデリックとともに正装したその時の写真が残っていて
書物などで見ることができます。

まさにその時のことを歌ったのが
「最初の聖体拝受」Les Premières Communionsということになりそうですが
それでは
この詩は事実の記録ということになってしまい
そうでないことは
冒頭行からも明らかです。

そりゃあもう愚劣極まりないものさ、村の教会などというものは
そこにおかしな村のガキどもが14、5人、柱に自分の体の垢をこすりつけながら
神聖なお説教がぽつりぽつりと話されるのを聞いている
ほんとに奇妙な黒染めの服を着て、その下に隠れた足で靴をゴソゴソと鳴らしている。
ああ、それなのに、太陽は木々の葉の向うで輝いている、
ふぞろいなステンドグラスの古ぼけた色を透かして輝いている。

石はいつでも母なる大地を呼吸している。
さかりがついて、荘重に身震いしている野原には
泥にまみれた小石の山などが見られるもので
重ったるい麦畑の近く、赤土の小道には
焼きの回った小さな木々が立ち、よく見れば青い実をつけ、
黒々とした桑の木の瘤や、怒っているような薔薇の木の瘤、

100年目ごとに、あの見事な納屋という納屋は
水色か、クリーム色の塗料で塗り替えられる。
ノートル・ダムや藁にまみれた聖人像のそばに
たとえ異様な聖なる物がゴロゴロ置かれていようとも
ハエは旅館や牛小屋に結構な匂いを漂わせ
陽の当たった床からは蠟(ろう)を嫌というほど詰め込むのだ。

子供は家に尽くさなければならないということで、つまりは
凡々とした世話ごとや人を愚鈍にする体の仕事に励まねばならない。
彼らは皮膚がムズムズするのを忘れて外に出る、
皮膚にはキリストの司祭様が今まさに効験あらたかな手を置かれたところだった。
彼らは司祭様には東屋の陰の濃い屋根を提供する
すると彼らは日焼けした額を陽に晒させてもらえるというわけだ。

初めて着る黒衣よ、ドラヤキの美しく見える日よ、
ナポレオンの形をしたのや、小判の形をしたのや
あるいは、飾り立てられてジョセフとマルトが
恋しさあまって舌ベロを出した絵のあるものや
――科学の時代にもふさわしいであろうこれらのデザイン――
これらわずかのものこそが最初の聖体拝受の思い出として彼らの胸に残るもの。

娘たちはいつでもはしゃいで教会に行く、
若い男衆から卑猥なジョークを囁かれるのをよいことに。
若者たちはミサの後、それとも愉快な日暮れどき、よく密会をするのです。
屯営部隊のハイカラもんである彼らときては、カフェで
勢力のある家々のことなど、悪口を言い散らし
新しい作業服を着て、恐ろしい歌を怒鳴るという始末。

さて、主任司祭様は子供たちのための絵図をお選びになられました。
主任司祭様の菜園に、あの日暮れどき、空気が遠くのほうから
そこはかとなく舞踊曲が満ちてくる時、
主任司祭様には、神様の御禁戒にも拘わらず
足の指がはしゃぎ出すのや、ふくらはぎが膨らむのをお感じになる……
――夜が来ると、黒い海賊船が金のみそらに現われ出でます。

以上が、
第1節の全7連です。

とりあえず
どんな詩かを見るために
ざっと目を通しましたが

初めて着る黒衣よ、ドラヤキの美しく見える日よ、
ナポレオンの形をしたのや、小判の形をしたのや
あるいは、飾り立てられてジョセフとマルトが
恋しさあまって舌ベロを出した絵のあるものや

ここに、タイトルの聖体そのものが登場するほかは、
ありふれた教会風景の描写といったところでしょうか。

少しだけ、
キリストの司祭様へのジャブ――

まだ、その程度のアンチ・キリストです。

ひとくちメモ その2

「最初の聖体拝受」Les Premières Communionsは
第2節へ入り
教会の司祭様が
信者たちの中から一人の少女を選んで
聖水を与えたことを歌いますが
この少女の眼が悲しげで、黄色い額をしていて
両親は親切な門番かなにかの職業であることを明らかにしただけで
1連で終ってしまい
第3節へと進みます。

最初の聖体拝受の日の前日に、この少女は病気になりました。

――と、この詩のタイトルである最初の聖体拝受が
この少女に行われたことがわかるのですが
ここでランボーがこの詩の主人公を
男の子にしないで少女にすることで
自伝的な、事実の記録と解釈されることを回避しました。

そうであっても
少女がランボーの分身であることを否定するものは何もなく
キリストの犠牲になった可哀想な少女を歌うことによって
ランボーはキリストへの反逆を表明していることに変わりありません。

最初の聖体拝受の前の日に、少女は病気になりました。
教会の上等の葬式の日の喧噪よりも甚だしく
はじめは先ず悪寒が来ました、――ベッドは味気なくもなかったし、
並ではない悪寒は繰り返し襲って来ました、((私は死にます……))

まるで、恋の有頂天が少女の愚かな姉妹たちを襲ったときのように、
少女はうち萎れ、両手を胸に置いたまま、熱心に
色々な天使や色々な所のイエス様や聖母マリア様を数えはじめました、
そして静かに、なんともいえない喜びにうっとりするのでした。

神様! ……――ラテンの末期にありましては、
緑の波形のある空が朱色の、
天の御胸の血に染まった人々の額を潤しました、
雪のような大きな麻布は、太陽の上に落ちかかりました!――

現在の貞潔のために、将来の貞潔のために
少女はあなたのみゆるしのすがすがしさにむしゃぶりついたのでございますが、
水中の百合の花よりも、ジャムよりももっと
あなたのみゆるしは冷たいものでございました、おやシオンの女王様よ!

大いなる日を迎える前の日に
少女が病気にかかってしまい
神に祈って心休まるのですが
みゆるしは冷たいものでした。

ここまでが
第3節。

それからというもの聖母はもはや書物の中の聖母でしかなかった、
神秘な熱も時々衰えるのだった……
アンニュイ(倦怠)や、どぎつい極彩色や老いた森が飾りたてる
みすがたの数々も貧弱に見え出してくるのだった、

どことはなく汚らわしい貴重な品の数々も
貞純で水色の少女の夢を破るのだった、
また脱ぎ捨てられた聖衣の数々、
イエス様が裸体をお包みになされていた下着をみてはびっくりするのでありました。

それなのになお彼女は願う、やるせなさの極みにいて、
すすり泣いて窪んだ枕に伏せて、しかも彼女は
至高のお慈悲のみ光が消えないように願うのだった
さて、涎が出ました……――夕闇は部屋に中庭に充ちてくる。

少女はもうどうしようもない。身を動かし腰を伸ばして、
手で青いカーテンを開く、
涼しい空気を少しばかりシーツや
自分のお腹や熱い胸に入れようとして。

第4節では
少女の空しい努力が続けられて……
夕闇が迫る時刻になります……

夜中に目覚めると、窓はいやに白っぽかった
灯火を受けたカーテンの青い眠気の前では。
日曜日のあどけなさの幻影が少女を捉える
今の今まで、真っ赤な夢を見ていたっけが、彼女は鼻血を出しました。

夜中の少女は
夢から覚めると
鼻血を出していました――。

延々と
馬鹿馬鹿しいほどの
神への献身? 従属? 犠牲? が歌われているようで
終りが見えません。

ひとくちメモ その3

「最初の聖体拝受」Les Premières Communionsは
どんな内容であるかを辿っていくだけでは
詩を味わうこととほど遠いことのようですが
触れてみないことには
詩と出会うことすら出来ませんから
詩の最後まで読んでみます。

このように読んでいることだけでも
いつかは詩を読んだといえるような瞬間があるであろうことを期待して
空しい努力を続けることも
詩を読む楽しさの一つといえばかっこよすぎですが
ランボーの詩のうちの難解なものは
何度も何度も繰り返し読んでも難解のままであり続け
さらに読んでも十分に理解できたかどうか
もやもやとしたものが残ることがありましても
なおまた読もうという欲求が生まれてくるから不思議なものです。

中原中也訳であることが
倍加して繰り返し繰り返し読もうとする欲求を
誘い出しているのかもしれません。

いや
中原中也が訳したランボーであろうとなかろうと
ランボーの詩(の難解なもの)は
繰り返し繰り返し読まなければ済まない
何かがあります、麻薬みたいな。

いや
詩というもの一般が
麻薬のようなものがあるといえるのかも。

「最初の聖体拝受」Les Premières Communionsは
麻薬のような魅力?魔力?麻力? でしょうか――

第5節(=Ⅴ)は
少女が夜中に目を覚まし
いましがた見ていた真っ赤な夢が
鼻血になっている、鼻血に変化していることに気づく場面からはじまります。

夜中の黒が、目覚めて白、
ロウソクの火の黄が、カーテンの青へ、
真っ赤な夢が鼻血……と
色彩豊かなランボー詩の片鱗。

夜中に目覚めると、窓はいやに白っぽかった
灯火を受けたカーテンの青い眠気の前では。
日曜日のあどけなさの幻影が少女を捉える
今の今まで、真っ赤な夢を見ていたっけが、彼女は鼻血を出しました。

身の潔白を心に感じ、身のか弱さを心に感じ
神様のみなさけを心ゆくまで味わおうということで、
心臓が、高ぶったり静まったりする、夜を彼女は望んでいました。
そのやさしい空の色を心に思いイメージしながらも。

夜、触知することが出来ない聖母マリアは、すべての若気を
灰色のしじまに浸してしまいます、
彼女は心が血を流し、声も立てられない憤激が
はけ口を見つける強烈な夜を望んでいたのです。

さて夜は、彼女を犠牲とし、また配偶として
その星は、ロウソクの火を持ち、見ていました、
白い幽霊とも見える仕事着が干されてあった中庭に
彼女が降り立ち、黒いお化けの屋根という屋根を取り払うのを。

ひとくちメモ その4

「最初の聖体拝受」Les Premières Communionsの
第6節(=Ⅵ)へ読み進みます。

この詩は、
ランボーの韻文の中では
1、2を争う長いものですから
休み休み読まないと息が切れそうですが、
時折り、目の覚めるような場面や詩句にぶつかり、
凄まじくテンション(緊張)の高い言語空間が
延々と持続していることに
あらためて気づかされることになります。

第6節は2連で
聖なる日=聖体拝受の前夜に
少女が厠(かわや・トイレ)で過ごしたことを歌います。

なぜ厠なのでしょうか?

ここに(だけではないのですが)
この詩が歌おうとしているものが凝縮し
シンボライズされているものが存在します――

それが分かれば
ランボーの詩をより深く
そして、初めてランボーの詩を味わうというレベルに到達できそうですが
まだまだ、そこへ行き着くためには
時間を費やさねばならない所にいます。

彼女は、彼女の聖なる夜をトイレの中で過ごしました。
ロウソクの火がともる所、屋根の穴ともいうべき所に向けて
白い気体は流れていました、青銅色の実をつけた野葡萄の木は
隣家の中庭のこっちをこっそりと抜けられるように通じているのでした。

天窓は、ほのぼの明るい火影の核心
窓窓の、ガラスに空がひっそりとメッキしている中庭の中
敷石は、アルカリ水の匂いがして
黒い眠気でいっぱいの壁の影を甘んじて受けているのでした……

第7節(=Ⅶ)は1連だけの節です。
ここでは詩の「地」が現われ
詩人が直接に歌っているように受け取れます。

誰か恋のやつれや浅ましい恨みを口にするものがいますかってんだ
また、潔い人をも汚すというあの憎しみが
もたらす行為を言うものですかってんだ、おお、汚らわしい狂人ら、
折りも折り、あの癩が、こんなやさしい肉体を食らおうとするその時に……

第8節(=Ⅷ)になって
また、一歩引いた感じの描写に戻るようですが
《 》に少女の生の言葉が入り、
この詩が遠まわしにしか歌ってこなかったキリストへの反感を
少女の悲痛な叫びとして直(ぢか)に表出し
最大のヤマとなります。

さて彼女に、ヒステリックな錯乱がまたも起きますというと
彼女は目の当たりにするのです、幸福な悲愁の思いに浸りつつ、
恋人が真っ白な無数のマリアを夢見ているのを、
愛の一夜の明け方に、とても悲痛な面持ちで。

《ご存知? あたいがあなたを亡くさせたのです。あたいはあなたの口と心を、
人の持っているすべてのもの、ええ、あなたのお持ちのすべてのものを
奪ったのでした。そのあたいは病気です、あたいは寝かせてほしいのです
夜の水で水飼われるという、死者たちの間に、あたいは寝かせて欲しいのです

《あたいはわかったのです、キリスト様はあたいの息吹きをお汚しになった、
その時あたいは憎しみが、喉までこみあげましたのです!
あなたはあたいの羊毛と、深い髪の毛にキスしました、
あたいはなされるがままになっていた……ああ、行ってちょうだい、その方がよろしい
のです、

男の方々は! 愛情こまやかな女というものが
汚い恐れを感じる時は、どんなにか辱められ、
どんなに傷められるものであるか、お気づきにならない
またあなたへの熱中の全てが不品行であることにお気づきにならない!

《だって、あたいの最初の聖体拝受は執り行われました。
あたいはあなたのキスを、お受けすることは出来ません、
あたいの心と、あなたがお抱きになったあたいの体は
イエス様の腐ったキスでウヨウヨしています!》

第8節の第1連以外は
少女の独白(=モノローグ)ですが、
詩人が語らせているものですから
ランボーの表明ということになります。
(※第2、3連に二重パーレンの受けがなく、第4連には、始まりも受けもないのは、原
詩の「クオーテーション” ”」の表記と同様です。)

こうして、ついに
最終節の2連に入ります。
この期に及んで
キリストへ呼びかけるのは
この詩の作者ランボー。
面と向かって
キリストに語りかけます。

かくて敗れた魂と悲しみ悶える魂は
キリストよ、貴様の呪詛が滔々と流れ流れるのを感じるのです、
――男らは、貴様の不可侵の憎しみの上に止まっていた、
死の準備のためにといって、真正な情熱を逃れることによって、

キリストよ! 貴様は永遠の精力の略奪者、
父なる神は2000年もの間、貴様の蒼白さに捧げさせたというわけか
恥と頭痛で地に縛られて、
動転している、女らのひどく悲しげな額を。


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