孤児等のお年玉

薄暗い部屋。
ぼんやり聞こえるのは
二人の子供の悲しいやさしい私話(ささやき)。
互いに額を寄せ合って、おまけに夢想(ゆめ)で重苦しげで、
慄えたり揺らいだりする長い白いカーテンの前。
戸外(そと)では、小鳥たちが寄り合って、寒がっている。
灰色の空の下で彼等の羽はかじかんでいる。
さて、霧の季節の後(あと)に来た新年は、
ところどころに雪のある彼女の衣裳を引摺りながら、
涙をうかべて微笑をしたり寒さに慄えて歌ったりする。

二人の子供は揺れ動くカーテンの前、
低声で話をしています、恰度(ちょうど)暗夜に人々がそうするように。
遠くの囁でも聴くよう、彼等は耳を澄ましています。
彼等屡々、目覚時計の、けざやかな鈴(りん)の音には
びっくりするのでありました、それはりんりん鳴ります 鳴ります、
硝子の覆いのその中で、金属的なその響き。
部屋は凍てつく寒さです。寝床の周囲(まわり)に散らばった
喪服は床(ゆか)まで垂れてます。
酷(きび)しい冬の北風は、戸口や窓に泣いていて、
陰気な息吹を此の部屋の中までどんどん吹込みます。
彼等は感じているのです、何かが不足していると……
それは母親なのではないか、此のいたいけな子達にとって、
それは得意な眼眸(まなざし)ににこにこ微笑を湛えてる母親なのではないでしょうか?
母親は、夕方独りで様子ぶり、忘れていたのでありましょうか、
灰を落としてストーブをよく燃えるようにすることも、
彼等の上に羊毛や毬毛(わたげ)をどっさり掛けることも?
彼等の部屋を出てゆく時に、お休みなさいを云いながら、
その晨方(あさがた)が寒いだろうと、気の付かなかったことでしょうか、
戸締(とじ)めをしっかりすることさえも、うっかりしていたのでしょうか?
ーー母の夢、それは微温の毛氈(もうせん)です、
柔らかい塒(ねぐら)です、其処に子供等小さくなって、
枝に揺られる小鳥のように、
ほのかなねむりを眠ります!
今此の部屋は、羽なく熱なき塒(ねぐら)です。
二人の子供は寒さに慄え、眠りもしないで怖れにわななき、
これではまるで北風が吹き込むための塒(ねぐら)です……

諸君は既にお分りでしょう、此の子等には母親はありません。
養母(そだておや)さえない上に、父は他国にいるのです!……
そこで婆やがこの子等の、面倒はみているのです。
つまり凍った此の家に住んでいるのは彼等だけ……
今やこれらの幼い孤児が、嬉しい記憶を彼等の胸に
徐々に徐々にと繰り展(ひろ)げます、
恰度お祈りする時に、念珠(じゅず)を爪繰るようにして。
ああ! お年玉、貰える朝の、なんと嬉しいことでしょう。
明日(あした)は何を貰えることかと、眠れるどころの騒ぎでない。
わくわくしながら玩具(おもちゃ)を想い、
金紙包(きんがみづつ)みのボンボン想い、キラキラきらめく宝石類は、
しゃなりしゃなりと渦巻き踊り、
やがて見えなくなるかとみれば、またもやそれは現れてくる。
さて朝が来て目が覚める、直ぐさま元気で跳(は)ね起きる。
目を擦(こす)っている暇もなく、口には唾(つばき)が湧くのです、
さて走ってゆく、頭はもじゃもじゃ、
目玉はキョロキョロ、嬉しいのだもの、
小さな跣足(はだし)で床板踏んで、
両親の部屋の戸口に来ると、そおっとそおっと扉に触れる、
さて這入ります、それからそこで、御辞儀……寝巻のまんま、
接唇(ベーゼ)は頻(しき)って繰返される、もう当然の躁ぎ方です!

ああ! 楽しかったことであった、何べん思い出されることか……
ーー変り果てたる此の家(や)の有様(さま)よ!
太い薪は炉格(シュミネ)の中で、かっかかっかと燃えていたっけ。
家中明るい灯火は明(あか)り、
それは洩れ出て外(そと)まで明るく、
机や椅子につやつやひかり、
鍵のしてない大きな戸棚、鍵のしてない黒い戸棚を
子供はたびたび眺めたことです、
鍵がないとはほんとに不思議! そこで子供は夢みるのでした、
戸棚の中の神秘の数々、
聞こえるようです、鍵穴からは、
遠いい幽(かす)かな嬉しい囁き……
ーー両親の部屋は今日ではひっそり!
ドアの下から光も漏れぬ。
両親はいぬ、家よ、鍵よ、
接唇(ベーゼ)も言葉も呉れないままで、去(い)ってしまった!
なんとつまらぬ今年の正月!
ジッと案じているうち涙は、
青い大きい目に浮かみます、
彼等呟く、『何時母さんは帰って来(くる)ンだい?』

今、二人は悲しげに、眠っております。
それを見たらば、眠りながらも泣いてると諸君は云われることでしょう、
そんなに彼等の目は腫れてその息遣いは苦しげです。
ほんに子供というものは感じやすいものなのです!……
だが揺籃を見舞う天子は彼等の涙を拭いに来ます。
そして彼等の苦しい眠に嬉しい夢を授けます。
その夢は面白いので半ば開いた彼等の唇(くち)は、
やがて微笑み、何か呟くように見えます。
彼等はぽちゃぽちゃした腕に体重(おもみ)を凭(もた)せ、
やさしい目覚めの身振りして、頭を擡(もた)げる夢をばみます。
そして、ぼんやりした目してあたりをずっと眺めます。
彼等は薔薇の色をした楽園にいると思います……
パッと明るい竃(かまど)には薪がかっかと燃えてます、
窓からは、青い空さえ見えてます。
大地は輝き、光は夢中になってます、
半枯(はんかれ)の野面(のも)は蘇生の嬉しさに、
陽射しに身をばまかせています、
さても彼等のあの家が、今では総体(いったい)に心地よく、
古い着物ももはやそこらに散らばっていず、
北風も扉の隙からもう吹込みはしませんでした。
仙女でも見舞ってくれたことでしょう!……
ーー二人の子供は、夢中になって、叫んだものです…おや其処に、
母さんの寝床の傍に明るい明るい陽を浴びて、
ほら其処に、毛氈(タピー)の上に、何かキラキラ光っている。
それらみんな大きいメタル、銀や黒のや白いのや、
チラチラ耀(かがや)く黒玉や、真珠母や、
小さな黒い額縁や、玻璃(はり)の王冠、
みれば金字が彫り付けてある、『我等が母に!』と。

〔千八百六十九年末つ方〕

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ひとくちメモ その1

「孤児等のお年玉」Les Étrennes des orphelinsは

1869年末に作られ
1870年はじめに週刊雑誌に掲載されたもので
ランボーのフランス語詩の中で
最も早く印刷物になったものとして知られています。

そのためもあって
近年出版される「ランボー詩集」では
詩集冒頭に置かれる詩です。

中原中也訳「ランボオ詩集」は
1924年発行の第2次ペリション版(別の言い方でメルキュール版)を原典としますから
テキスト研究もまだ未熟な時代で
「孤児等のお年玉」は
第3章の追加篇に入っていました。

「文学界」の昭和10年11月号に
小林秀雄が同誌の編集者のポジションにあったよしみで発表したものです。
この初出作品がほとんどそのまま
「ランボオ詩集」に収録されました。

ひとくちメモ その2

「孤児等のお年玉」を
現代表記にした上
少し意訳を加えて
読んでみます。

 1

薄暗い部屋。
ぼんやり聞えるのは
二人の子供の悲しいやさしいひそひそ声。
互いに額を寄せ合って、おまけに夢想の中にいるようで重苦しげで、
震えたり揺れたりしている長い白いカーテンの前。
家の外では、小鳥たちが一所に集って、寒がっている。
灰色の空の下で小鳥たちの羽根はかじかんでいる。
さて、霧の季節のあとにめぐってきた新年は、
ところどころに雪のある衣裳を引きずって
涙を浮かべて微笑したり寒さに震えて歌ったりする。

 ◇

新年を迎えた
二人の子どもの
何の変哲もないような描写ではじまる詩。
薄暗い部屋から聞えてくるひそひそ声という詩句に
幸薄い境涯にあることが暗示されます。
タイトルにあるように
二人の子どもには親がない
みなしごなのです。

 2

二人の子どもは揺れ動くカーテンの前で
低い声で話しています、ちょうど暗い夜に人々がそうするようにして。
遠くの小さな音を聴くように、二人は耳を澄まし、(小さな声で話すのです)。
二人は時々、目覚まし時計が、突然リーンと鳴り出すのに
びっくりするのでした、時計はリンリン鳴ります、リンリンと鳴るのですから。
ガラスのカバーの中でする、金属音。
部屋は凍てつく寒さです。ベッドの周りに散らばった
喪服は床まで垂れています。
厳しい冬の北風は、戸口や窓に吹きつけ、泣いていますし
陰気な息をこの部屋の中までどんどん吹き込んでいます。
二人は感じているのです、何かが足りない、と……
それは、母親なのではないか、このいたいけない子らにとって
それは、得意気な目にニコニコとした微笑をたたえている母親なのではないでしょうか?
母親は、夕方独り訳ありそうにして、忘れていたのでしょうか
灰を落してストーブをよく燃えるようにしたり
二人の子どもにウールや綿毛の衣装をたくさん掛けたりすることも?
二人の部屋を出ていく時に、お休みなさいを言いながら
朝になれば子どもたちが寒がるだろうと、気づかなかったのでしょうか
戸締りをしっかりすることさえも、うっかり忘れてしまったのでしょうか?
――母の夢、それはあったかい毛布です
柔らかい塒(ねぐら)です、そこに子どもらは小さくなって
枝に揺られる小鳥のように
まどろむように眠ります!
いま、この部屋は、羽毛がなく暖房もない寝場所です。
二人の子どもは寒さに震え、眠りもしないで恐怖にわななき
これではまるで北風が吹き込むためにある塒です……

 ◇

恐怖におののいている子どもたちは
声を出すこともできないでいます
賢い猫が
音を立てないで
自らの命を敵から守るようにしているのと同じに
子どもたちが声を出せないでいるのは
恐怖からです。

母親は
うっかりしたのではなく
存在しないのです。

みなしごたちは
楽しかった正月の思い出にひたります。

 3

皆さんは、すでにお分かりのことでしょう、この子らに母親はありません。
養母さえいないし、父親はどこか遠い外国にいるのです!
そこで婆さんがこの子らの面倒はみているのです。
つまり凍ったこの家に住んでいるのは二人の子どもだけ……
いまや、これらの幼いみなしごが、楽しかった思い出を自分たちの胸に
ゆっくりとゆっくりと繰り広げていきます
ちょうどお祈りする時に、数珠をつまぐるようにして。
ああ! お年玉を貰える朝の、なんと嬉しいことでしょう。
あしたは何を貰えることかと、眠れるどころの騒ぎではない。
ワクワクしながらおもちゃを想像し
金紙で包まれたボンボンを想像し、キラキラきらめく玩具の宝石類は
しゃなりしゃなりと渦巻き踊りしてる、
やがて見えなくなるかと思えば、またそれは登場する。
さて、朝が来て目が覚める、すぐに元気に跳ね起きる。
目をこすっている間もなく、口には唾液が湧きます
そうして走っていく、頭はモジャモジャ、
目玉はキョロキョロ、嬉しいんだもん、
小さな裸足で床を踏んで
両親の部屋のドアに来ると、そおーっとそおーっと扉に触れる、
そして、入ります、それからそこで、お辞儀……パジャマのまんま、
キスを何度も何度もして、当然のはしゃぎ振りです!

 ◇

ここまでで3章。

中原中也の翻訳は
歴史表記を現代表記にすれば
そのまま現代口語になるということが分かります。
文語体ではありません。

ひとくちメモ その3

「孤児等のお年玉」を
現代表記にし
少し意訳して読んでいますが
前半部を読んで分かるのは
少なくともこの詩の中原中也の翻訳は
文語体ではなく口語体です。

歴史的表記になっていて見えにくいのですが
昭和初期に一般的だった歴史的表記法以外に
日本語の表記法はなかったのですから
中原中也が
歴史的な表記に拠っていたのは
当たり前のことでした。

 4

ああ! 楽しかったこと! 何度も思い出されてくることか……
――それにひきかえ、変わり果てたこの家のありさま!
太い薪(たきぎ)は暖炉の中で、カッカカッカと燃えていたっけ。
家中が明るい灯でくまなく照らされ
それは洩れ出て家の外まで明るくし、
机や椅子につやつやと光り、
鍵をかけていない大きな戸棚、鍵をかけていない黒い戸棚を
子どもは度々眺めたことです。
鍵がないとは、ほんとに不思議! そこで子どもは夢みるのでした、
戸棚の中の神秘な色々なもの、
聞こえるようです、鍵穴からは、
遠ーい、かすかな嬉しい囁き声……
――両親の部屋は今日ひっそり!
ドアの下から光の一つ洩れてこない。
キスもおやすみの言葉もくれないまま、行ってしまった!
なんとつまらない今年の正月!
じっと不安に思っているうちに涙が
青い大きな目に浮びます、
二人は呟きます、「いつママは帰って来るんだい?」

 5

今、二人は悲しげに、眠っています。
それを見たなら、眠ったまま泣いていると皆さんはおっしゃることでしょう、
そんなにも彼らの目はふくれて、息遣いは苦しげです。
ほんとうに子どもというものは感じやすいものなのです!……
だけど、ゆりかごを見舞う天使が彼らの涙を拭いに来ます。
その夢が面白いので、半ば開けた彼らの口は
やがて微笑み、何かを呟くように見えます。
彼らは、バラ色の楽園にいるように思います……
パッと明るい竃(かまど)には薪がカッカと燃えています、
窓からは、青い空さえ見えています。
大地は輝き、光はくるめいています。
半枯れの野原のよみがえりが嬉しくて
陽射しに身を任せています、
そうしていると彼らのあの家が、今ではまったく心地よく、
古い着物類ももうそこいらに散らばっていないし
北風も扉の隙間からもう吹き込んではいませんでした。
仙女でも見舞ってくれたことでしょう!
――ママンのベッドのそばで明るい明るい陽射しを浴びて、
ほら、そこに、毛布の上に、何かキラキラ光っている。
それらみんな大きいメタル、銀や黒や白いのや、
チラチラ輝く黒い玉や、真珠母や、
小さな黒い額縁や、水晶の王冠、
見れば金の字が彫り刻まれている、「僕らのママンに!」と。
<1869年末>

ひとくちメモ その4

「孤児等のお年玉」は
中原中也が訳した「第2次ペリション版」(別称、メルキュウル版)では
冒頭に置かれてはいなかったのですが
ラコスト版(1939―1949年)や
プレイヤード版(1946年)
ガルニエ版(1960年)などが刊行されて
ランボー最初の詩作品としての認知が定着しました。
これら以降、
「初期韻文詩」や「前期韻文詩篇」などと分類された項目の
冒頭に置かれることが普及しました。

ランボーの作品では
「孤児等のお年玉」よりも前に書かれた「散文」があるため
ランボー詩集によっては
この「散文」を詩集冒頭に配置するものもあります。

僕が、はじめてランボオに出くわしたのは、23歳の春であった。その時、僕は、神田をぶらぶら歩いていた、と書いてもよい。向うからやって来た見知らぬ男が、いきなり僕を叩きのめしたのである。僕には、何の準備もなかった。ある本屋の店頭で、偶然見付けたメルキュウル版の「地獄の季節」の見すぼらしい豆本に、どんなに烈しい爆薬が仕掛けられていたか、僕は夢にも考えてはいなかった。

――と戦後すぐに小林秀雄が
「ランボオの問題」(1947年、後に「ランボーⅢ」と改題)に記した「メルキュウル版」と
中原中也が
「ランボオ詩集」(1937年)の「後記」に記した「メルキュル版」とが
同一の出版物であったかどうかは別として
同じ「メルキュール版」であったことは間違いありません。

堀口大学(1892~1981年)が
昭和24年(1949年)3月に刊行した「ランボオ詩集」(新潮社)は
目次に「初期詩篇」の項目を立てていないものの
冒頭に「みなし児たちのお年玉」を置いていますから
「メルキュール版」よりも新しい原典を
使用(参照)していることが推察されます。

1895年生まれの詩人・金子光晴(~1975年)は
早くからランボーに関心の目を向け
ランボーの詩の翻訳も早くから手がけましたが
1984年発行の「ランボー全集」(斉藤正二、中村徳泰との共著、雪華社)では
「みなし児たちのお年玉」を冒頭詩篇としています。

ここで
堀口大学の「みなし児たちのお年玉」の「一」を
昭和24年版「ランボオ詩集」と平成23年88刷の「ランボー詩集」で
金子光晴の「みなし児たちのお年玉」の「Ⅰ」を
1984年発行の「ランボー全集」(雪華社)で
あわせて読んでおきます。

 *
みなし児たちのお年玉
堀口大学訳 (昭和24年新潮社名作詩集)

 一
部屋のなかはもの陰で一ぱい。二人の子供たちの
わびしげな音なしやかな私語(ささやき)が聞えるばかり。
垂れ長の白カーテンの揺れ動く裾のあたりで
醒めきらぬ夢の重さに二人の額もうなだれがち。
戸外では、寒むそうに、小鳥達が、目白押し、
灰色の空のもと、彼等の翼(つばさ)も重たさう。
雲霧の供ぞろへいかめしい青陽の新年は
雪白の裳裾長々引きずつて
泣きながら笑つたり、寒さにふるへる声あげて歌つてみたり。

 *
みなし児(ご)たちのお年玉
堀口大学訳 (昭和26年新潮文庫、平成19年84冊改版、同23年88刷)

 一
部屋(へや)のなかはもの陰でいっぱい。二人の子供たちの
わびしげなおとなしやかな私語(ささやき)が聞えるばかり。
垂(た)れ長の白カーテンの揺れ動く裾(すそ)のあたりで
覚(さ)めきらぬ夢の重さに二人の額(ひたい)もうなだれがち。
戸外では、寒そうに、小鳥達が、目白押し、
灰色の空のもと、彼等の翼(つばさ)も重たそう。
雲霧(くもきり)の供ぞろい、いかめしい青陽(せいよう)の新年は
雪白(せっぱく)の裳裾(もすそ)長々引きずって
泣きながら笑ったり、寒さにふるえる声あげて歌ってみたり。

 *
みなし児たちのお年玉
金子光晴訳 (1984年、雪華社)

 Ⅰ

 物影の多い部屋のうちで、二人の子供の
いぢらしい、小声のささやきがぼそぼそときこえる。
風におののく白いカーテンが、時々捲(ま)きあがる下で、
すっかりまださめきらないような、うっとりしたおももちで彼らは、頭を傾(かし)げる。
家の外では小鳥らが、寒さにからだをよせあい、
灰一色の空へ、おもい翼が飛びたちかねている。
新しい年は、深霧を身にまとい、
雪の衣裳(いしょう)のながい、襞裾(ひだすそ)をうしろにひきずってやって来て、

涙いっぱいな眼でほほえみかけ、
かじかんだ唄(うた)をうたう。

ひとくちメモ その5

「孤児等のお年玉」が
ビクトル・ユーゴー(やフランソワ・コペ)の影響を受けているといわれていて
そういえばこの詩の子どもたちが
「ああ、無情」の主人公ジャン・バルジャンに重なって
ジャン・バルジャンが幼い時に両親を亡くした生い立ちにはじまる
みなしごの物語であったことなどがなつかしく思い出されます。

ランボーもまた出身国の大先輩である文豪の作品を読んで
多少なりとも感化を受けたことを想像するのですが
小林秀雄の最初のランボー論で
「人生斫断家アルチュル・ランボウ」ののっけに

「偉大なる魂、疾(と)く来れ」、1871年10月「酩酊の船」の名調に感動したヴェルレエヌは、シャルルヴィルの一野生児を巴里に呼んだ。すばらしい駄々っ子を発見するものは、すばらしい駄々っ子でなければならない。「ラシイヌ、ふふんだ、ヴィクトル・ユウゴオ……堪らない」。

――と、ランボーが紹介されているのを読んでしまうと
ランボーのユーゴーから受けた影響とやらも
警戒して受け取らねばならない構えになります。

ランボーはそれくらいのことを
言い放ったって当然のことですが
ランボーが「孤児等のお年玉」を書いたのは
15歳か16歳ですから
純粋な面を見ておいたほうが
ランボーを真芯(ましん)で捉えることになりはしないでしょうか。

中原中也の訳は
そのあたりに敏感で
ランボーの純粋さを
失うまいとして純粋です。

というようなことがいえるのは
どんなところかというと……
例えば
いきなり

薄暗い部屋。
ぼんやり聞こえるのは
二人の子供の悲しいやさしい私話(ささやき)。

――という冒頭3行を見るだけでも
フレーズをむやみに剪定した痕がない
考えすぎてしまって「角を矯めた」という語句でもない
強さとか
荒さとか
ここに語勢があります。

悲しいやさしいささやき

――と言ってしまうところが
中原中也です。

かなしいやさしいささやき
kanasii yasasii sasayaki
悲しいやさしい私話

この語勢は
訳詩の全行にわたって
集中されているところが
中原中也です。


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