後 記

 私が茲(ここ)に訳出したのは、メルキュル版千九百二十四年刊行の「アルチュル・ランボー作品集」中、韻文で書かれたものの殆んど全部である。ただ数篇を割愛したが、そのためにランボーの特質が失われるというようなことはない。
 私は随分と苦心はしたつもりだ。世の多くの訳詩にして、正確には訳されているが分りにくいという場合が少くないのは、語勢というものに無頓着過ぎるからだと私は思う。私はだからその点でも出来るだけ注意した。
 出来る限り逐字訳をしながら、その逐字訳が日本語となっているように気を付けた。
 語呂ということも大いに尊重したが、語呂のために語義を無視するようなことはしなかった。
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 附録とした「失われた毒薬」は、今はそのテキストが分らない。これは大正も末の頃、或る日小林秀雄が大学の図書館か何処かから、写して来たものを私が訳したものだ。とにかく未発表詩として、その頃出たフランスの雑誌か、それともやはりその頃出たランボーに関する研究書の中から、小林が書抜いて来たのであった、ことは覚えている。ーーテキストを御存知の方があったら、何卒御一報下さる様お願します。
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 いったいランボーの思想とは?ーー簡単に云おう。パイヤン(異教徒)の思想だ。彼はそれを確信していた。彼にとって基督教とは、多分一牧歌としての価値を有っていた。
 そういう彼にはもはや信憑すべきものとして、感性的陶酔以外には何にもなかった筈だ。その陶酔を発想するということもはや殆んど問題ではなかったろう。その陶酔は全一で、「地獄の季節」の中であんなにガンガン云っていることも、要するにその陶酔の全一性ということが全ての全てで、他のことはもうとるに足りぬ、而も人類とは如何にそのとるに足りぬことにかかずらっていることだろう、ということに他ならぬ。
繻子の色した深紅の燠よ、
それそのおまえと燃えていれあ
義務(つとめ)はすむというものだ、
 つまり彼には感性的陶酔が、全然新しい人類史を生むべきであると見える程、忘れられてはいるが貴重なものであると思われた。彼の悲劇も喜劇も、恐らくは茲に発した。
 所で、人類は「食うため」には感性上のことなんか犠牲にしている。ランボーの思想は、だから嫌われはしないまでも容れられはしまい。勿論夢というものは、容れられないからといって意義を減ずるものでもない。然しランボーの夢たるや、なんと容れられ難いものだろう!
 云換れば、ランボーの洞見したものは、結局「生の原型」というべきもので、謂はば凡ゆる風俗凡ゆる習慣以前の生の原理であり、それを一度洞見した以上、忘れられもしないが又表現することも出来ない、恰(あたか)も在るには在るが行き道の分らなくなった宝島の如きものである。
 もし曲りなりにも行き道があるとすれば、やっとルレーヌ風の楽天主義があるくらいのもので、つまりランボーの夢を、謂わばランボーよりもうんと無頓着に夢みる道なのだが、勿論、それにしてもその夢は容れられはしない。唯ルレーヌには、謂はば夢みる生活が始まるのだが、ランボーでは、夢は夢であって遂に生活とは甚だ別個のことでしかなかった。
 ランボーの一生が、恐ろしく急テンポな悲劇であったのも、恐らくこういう所からである。
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 終りに、訳出のその折々に、教示を乞うた小林秀雄、中島健蔵、今日出海の諸兄に、厚く御礼を申述べておく。
〔昭和十二年八月二十一日〕

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