眩 惑

我が心よ、これは何だ? 血の卓布
燠の卓布。千・殺戮の卓布、すべての秩序が地獄堕ちせし
狂えるながき叫びの卓布、
さて北風はこともなくそが残骸の上を往き過ぎる、
復讐ってのか?――つまるめえ!……だってもね、
やれさ事業家、国王や、また元老院。
倒せよ、権力、正義と歴史。くたばらしちめえ!
してそれからだ、血だ血だ金の赤い焔だ。
戦い、仇討、恐懼のすべて。
わたしの意(こころ)は傷口でまわるわ!
失(う)せろい!
騒ぎよ国王よ、
連隊、移民、また人民。沢山だ!
誰か起すか、我ら及び四海の
我らが兄弟躁暴旋渦を?
我にとりては可笑しきやからの、それそれ我を喜ばせんと、
――旅行の仕儀でもあるめえな、おお波、火の波!
欧洲、亜細亜、亜米利加の、亡びもゆけよ。
我らが呪いの旗挙げは、
町に田畠に! 砕けよや砕けよや!
火山よ飛べよ、海打てよ!
おお我が友よ!――そは確かなり彼らわが血肉!
知れざる闇よ、とまれ※我ら行くなり!
おおこの凶運! 我が身ぞ慄う、老いたる地球よ、
やがてはわれの汝(なれ)にまで、地の底の底!
        ―――
(無義。其の処にありぬ、我常にも其の処にありぬ。)
   ※とにまれ、とにもかくにもなり。

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ひとくちメモ

「眩惑」Vertigeは
もとは無題の詩でしたが
第2次ベリション版で勝手にタイトルをつけられてしまったものです。
「ソネット」の場合もそうでした。

この詩に関しては
大岡昇平が、

個人的な回想を記すなら、私は昭和3年、2か月ばかり中原からフランス語を習った。飲み代を家から引き出すための策略だが、「ランボー作品集」をテクストに、1週間の間に各自、1篇を訳して見せ合った。私の記憶では中原が「飾画」を、私が「初期詩篇」を受持った。彼は「眩惑」「涙」などを、私は「谷間の睡眠者」「食器戸棚」「夕べの辞」「フォーヌの顔」「鳥」「盗まれた心」を訳し、二人で検討した。

――などと書いたことが参考になります。(「中原中也全集」解説「翻訳」)

翻訳のコラボみたいなことを
二人が昭和3年に行って、
その時に「眩惑」を中原中也が担当したということです。
この時とその後と、何度か推敲された形跡が残ります。

何が歌われているのか、
ややわかりにくいので、
「ランボー全詩集」の宇佐美斉の訳注を見ると

これをパリ・コミューンの革命的な信条と結び付けて1871年の作とする見方があるが、そのイメージの展開や激越な語り口はむしろ「地獄の季節」の「悪い血」の幾箇所かを想起させる。

全世界の破壊と混沌を希求するこの詩のアナーキーな主題は、おそらく特定の歴史的現実を超えたものであるだろう。

――とあり、またこの詩の最終行について、

12音節詩句4行6連からなるテクストの末尾に、作者介入のことばとして付け加えられたこの1行のみは9音節詩句であり、リズム面での断絶も顕著である。

――とあります。

中原中也が訳した最終行は、
(無義。其の処にありぬ、我常にも其の処にありぬ。)は
宇佐美のわかりやすい現代語訳ならば

大丈夫だ おれはここにいる ずっとここにこうしている

――ということになり、
この詩の「破壊的なエネルギー」を
ランボー自ら抑制する呼吸で介入したものという解釈です。

最後に詩世界に詩人自ら登場し
「眩惑」の中で、大丈夫、とうそぶいている詩と読むのです。

第14行の「躁暴旋渦」は
旋風、渦巻く風の意味のtourbillonsを
中原中也は造語で表現したものらしく
無理な印象があるのを否めません。

また
第25行の「とまれ」に※を付し
末尾に「※とにまれ、とにもかくにもなり。」と意味を記しているのも異例で
この※はやがて公開する段になっては
削除する予定だったことを示すのとあわせて
大岡昇平との議論が反映されていることをも物語るのかも知れず
そうとなれば
その議論の内容を想像する楽しみも生まれてこようというものです。

昭和3年といえば
小林秀雄から大岡昇平を紹介された年ですし
小林秀雄は長谷川泰子と別れた年でもありました。

中原中也が翻訳に取りくみはじめて間もないころですが
考えてみれば
早い時期から翻訳に手を染めていた、という事実に驚かされるばかりです。

<新漢字・歴史的かな遣いによる>
眩惑   アルチュール・ランボー

我が心よ、これは何だ? 血の卓布
燠の卓布。千・殺戮の卓布、すべての秩序が地獄堕ちせし
狂へるながき叫びの卓布、
さて北風はこともなくそが残骸の上を往き過ぎる、

復讐つてのか?――つまるめえ!……だつてもね、
やれさ事業家、国王や、また元老院。
倒せよ、権力、正義と歴史。くたばらしちめえ!
してそれからだ、血だ血だ金の赤い焔だ。

戦ひ、仇討、恐懼のすべて。
わたしの意(こころ)は傷口でまはるわ!
失(う)せろい! 騒ぎよ国王よ、
聯隊、移民、また人民。沢山だ!

誰か起すか、我ら及び四海の
我らが兄弟躁暴旋渦を?
我にとりては可笑しきやからの、それそれ我を喜ばせんと、
――旅行の仕儀でもあるめえな、おゝ波、火の波!

欧洲、亜細亜、亜米利加の、亡びもゆけよ。
我らが呪ひの旗挙げは、
町に田畠に! 砕けよや砕けよや!
火山よ飛べよ、海打てよ!

おゝ我が友よ!――そは確かなり彼らわが血肉!
知れざる闇よ、※とまれ我ら行くなり!
おゝこの凶運! 我が身ぞ慄ふ、老いたる地球よ、
やがてはわれの汝(なれ)にまで、地の底の底!

―――

(無義。其の処にありぬ、我常にも其の処にありぬ。)
※とにまれ、とにもかくにもなり。

※底本を角川書店「新編中原中也全集」としました。ルビは原作にあるもののみを( )の中に表示しました。編者。


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