逝く夏の歌

並木の梢(こずえ)が深く息を吸って、
空は高く高く、それを見ていた。
日の照る砂地に落ちていた硝子(ガラス)を、
歩み来た旅人は周章(あわ)てて見付けた。

山の端(は)は、澄(す)んで澄んで、
金魚や娘の口の中を清くする。
飛んで来るあの飛行機には、
昨日私が昆虫の涙を塗っておいた。

風はリボンを空に送り、
私は嘗(かつ)て陥落(かんらく)した海のことを 
その浪(なみ)のことを語ろうと思う。

騎兵聯隊(きへいれんたい)や上肢(じょうし)の運動や、
下級官吏(かきゅうかんり)の赤靴(あかぐつ)のことや、
山沿(やまぞ)いの道を乗手(のりて)もなく行く
自転車のことを語ろうと思う。

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ひとくちメモ

「帰郷」あたりから
東京を離れたイメージになり
「凄じき黄昏」から今回の「逝く夏の歌」、
「悲しき朝」、「夏の日の歌」、「夕照」へと
どことなく開けた感じの景観風物や自然が
歌われていることに気づきます。

「帰郷」以後の数編は
制作日の順に配列した、というより
詩が喚起するイメージの共鳴を狙って
一つのまとまりをつけたもの、
と見るほうが面白そうです。
「凄じき黄昏」の戦争は
「逝く夏の歌」の
飛行機、陥落、騎兵聯隊、上肢の運動、
下級官吏の赤靴……の戦争へと、すんなりと続いていきます。

そうして、
この詩の主人公は旅人です。
旅人はそして私です。

第1連第1─2行は空
3─4行は旅人
第2連第1─2行は山の
3─4行は私

というように主語が入れ替わり
対をなします。
空が見ます私が見付けます。
山の端が清くします私が塗っておきます。

空が見る
山の端が清くする
ここに戸惑うこともありません。
ごく自然な象徴化です。

第3連
風はリボンを空に送り、
で、視線は転換し
戦争に向かいます。

陥落した海とは
詩人が1歳の時に滞在した旅順、か。
旅順陥落は、
歴史的事件で
むろん詩人は経験しているわけではありません……
記憶にすらありません……。

その戦争の悲惨さを語ろう、というのではなく、
海や、その浪や……、騎兵聯隊や上肢の運動や……、
下級官吏の赤靴のことや
乗り手もなく行く自転車のことを
語ろうと思うのです。

乗り手もなく行く自転車!
ここに私=詩人が語ろうとしている
悲しみのすべてがあります。


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