初夏の夜

また今年(こんねん)も夏が来て、
夜は、蒸気(じょうき)で出来た白熊が、
沼をわたってやってくる。
――色々のことがあったんです。
色々のことをして来たものです。
嬉(うれ)しいことも、あったのですが、
回想されては、すべてがかなしい
鉄製の、軋音(あつおん)さながら
なべては夕暮迫(せま)るけはいに
幼年も、老年も、青年も壮年も、
共々に余りに可憐(かれん)な声をばあげて、
薄暮の中で舞う蛾(が)の下で
はかなくも可憐な顎をしているのです。
されば今夜(こんや)六月の良夜(あたらよ)なりとはいえ、
遠いい物音が、心地よく風に送られて来るとはいえ、
なにがなし悲しい思いであるのは、
消えたばかしの鉄橋の響音(きょうおん)、
大河(おおかわ)の、その鉄橋の上方に、空はぼんやりと石盤色(せきばんいろ)であるのです。

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ひとくちメモ

詩集「在りし日の歌」の29番目に
「初夏の夜」はあります。
29番目という位置は
「蛙声」が58番目で最後ですから、
丁度、真ん中に置かれた詩ということになります。

「文学界」の昭和10年(1935年)8月号に発表され、
制作は、同年6月6日であることがわかっています。

この日付の前後に詩人は、
東京に出てから何回目かになる
引越しをしていますから、
その状況が、詩に反映されているのかもしれません。
しかし、そんな状況を知らなくても、
作品は十分に味わうことが可能です。

回想されては、すべてがかなしい

第7行の、この1行に
この詩は、向かい、
周りを回り、
ぐるっと回って、
また、戻ってくる、
そういう形の詩です。

冒頭の1〜3行

また今年(こんねん)も夏が来て、
夜は、蒸気で出来た白熊が、
沼をわたつてやつてくる。

この中の
蒸気で出来た白熊とは
回想の中身のことです。
色々、思い出されて、かなしいのですが、
その色々の中身のことを、
蒸気で出来た白熊
と表現したのです。

終わりのほうで、
遠いい物音、とあるのも、
回想の中身を、
聴覚的に表したものでしょう。

それら、色々な回想が、
6月、初夏の夜の、
心地よい風に乗って運ばれてくるのではありますが、
なんだか悲しいのは
今、行ったばかりの列車の轟音が
消えていって、
鉄橋の向うの、上の空が
うっすら青黒く、
あまりに美しい色合いだからです……。


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