春日狂想

愛するものが死んだ時には、
自殺しなきゃあなりません。

愛するものが死んだ時には、
それより他に、方法がない。

けれどもそれでも、業(ごう)(?)が深くて、
なおもながらうことともなったら、

奉仕(ほうし)の気持に、なることなんです。
奉仕の気持に、なることなんです。

愛するものは、死んだのですから、
たしかにそれは、死んだのですから、

もはやどうにも、ならぬのですから、
そのもののために、そのもののために、

奉仕の気持に、ならなきゃあならない。
奉仕の気持に、ならなきゃあならない。

奉仕の気持になりはなったが、
さて格別の、ことも出来ない。

そこで以前(せん)より、本なら熟読。
そこで以前(せん)より、人には丁寧。

テンポ正しき散歩をなして
麦稈真田(ばっかんさなだ)を敬虔(けいけん)に編(あ)み――

まるでこれでは、玩具(おもちゃ)の兵隊、
まるでこれでは、毎日、日曜。

神社の日向(ひなた)を、ゆるゆる歩み、
知人に遇(あ)えば、にっこり致(いた)し、

飴売爺々(あめうりじじい)と、仲よしになり、
鳩に豆なぞ、パラパラ撒(ま)いて、

まぶしくなったら、日蔭(ひかげ)に這入(はい)り、
そこで地面や草木を見直す。

苔(こけ)はまことに、ひんやりいたし、
いわうようなき、今日の麗日(れいじつ)。

参詣人等(さんけいにんら)もぞろぞろ歩き、
わたしは、なんにも腹が立たない。

《まことに人生、一瞬の夢、
ゴム風船の、美しさかな。》

空に昇って、光って、消えて――
やあ、今日は、御機嫌(ごきげん)いかが。

久しぶりだね、その後どうです。
そこらの何処(どこ)かで、お茶でも飲みましょ。

勇(いさ)んで茶店に這入(はい)りはすれど、
ところで話は、とかくないもの。

煙草(たばこ)なんぞを、くさくさ吹かし、
名状(めいじょう)しがたい覚悟をなして、――

戸外(そと)はまことに賑(にぎ)やかなこと!
――ではまたそのうち、奥さんによろしく、

外国(あっち)に行ったら、たよりを下さい。
あんまりお酒は、飲まんがいいよ。

馬車も通れば、電車も通る。
まことに人生、花嫁御寮(はなよめごりょう)。

まぶしく、美(は)しく、はた俯(うつむ)いて、
話をさせたら、でもうんざりか?

それでも心をポーッとさせる、
まことに、人生、花嫁御寮。

ではみなさん、
喜び過ぎず悲しみ過ぎず、
テンポ正しく、握手(あくしゅ)をしましょう。

つまり、我等(われら)に欠けてるものは、
実直(じっちょく)なんぞと、心得(こころえ)まして。

ハイ、ではみなさん、ハイ、御一緒に――
テンポ正しく、握手をしましょう。

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ひとくちメモ

「在りし日の歌」の後部3分の1ほどは
「永訣の秋」としてくくられて、
16篇の詩が選ばれています。

詩集全体に、
「死」をテーマにしたものが多いのですが、
「永訣の秋」の「死」の密度は、
よりいっそう濃く、
どの作品にも、
「死」がからまっています。

その中に、
文也追悼の詩はあります。

議論の余地は残されているものの、
「月夜の浜辺」
「また来ん春……」
「月の光 その一」
「月の光 その二」
「冬の長門峡」
「春日狂想」
「蛙声」
の7篇は、
直接・間接に、
文也の死を悼んだ詩といえるものです。

その一つ、
「春日狂想」は
「文学界」昭和12年(1937年)5月号に掲載され、
制作は、同年3月と推定されている作品です。

冒頭の強烈な詩句に
誰しも、
息をのむような衝撃を受けることでしょう。

愛するものが死んだ時には、
自殺しなけあなりません。

この、自殺しなけあ、は
現代表記すれば、
自殺しなきゃあ、となりますが、
自殺せねばならないMust kill myselfの意味を含みながら、
死ななきゃあね、
といったお道化調も感じられます。
中原中也の時代の国語表記が
なおさら、
強烈さを倍加している感じになっています。

文也の死(昭和11年11月10日)から4か月が経ち、
多少なりとも、
詩人の悲しみは緩和されたなどとは、
到底、誰も言えませんし、
むしろ、
いやましに深まっていた悲しみかもしれません。

3章に分けられた詩の1は、
死ななきゃならないけれど
業(ごう)が深いからか、死ねなくて、
生きながらえることにでもなったなら、

奉仕の気持に、なることなんです。
奉仕の気持に、ならなけあならない。

と、終わります。

けれどもそれでも、業(ごふ)(?)が深くて、
なほもながらふことともなつたら、

これを、訳せば、
死ななきゃならないけれど
業(ごう)が深いからか、死ねなくて、
生きながらえることにでもなったなら、
となりますが、
この「?」は、
ちょっと気にしておいたほうがよいところです。

詩人は、
業が深いから死ねなかったというケースだけではなく、
ほかにも、死ねなかった親があり、
むしろ、我が子が死んだからといって、
そう簡単に、親は死ななきゃならないわけがありませんし、
業というような方面の問題でもないことくらい知っています。

これは、自己にだけ向けた詩人の悲しみの表現です。
だから、「?」をつけたのです。

奉仕の気持に、なることなんです。
奉仕の気持に、ならなけあならない。

と、終わるための、
前振りの中の
ちょっとしたこだわりとでも言っておきましょうか。

2は、白眉といって過言ではない
詩の高まりというようなもの、
この「在りし日の歌」という詩集の、
山にかかっての絶唱とでも言いたくなる

いや、なんと言えばよいのか

奉仕の気持ちをもっていても
特別に何かをできるわけではない僕は、
これまで通り、普通に暮らし、
麦稈真田を編むような、
規則正しく、テンポ正しい散歩をして……

神社を歩き
飴売りのじいさんと話し
鳩に豆をあげ……
何にも腹の立たない
夢のように穏やかな日を送ります、

と、以上のような暮らしを、

まことに人生、一瞬の夢、
ゴム風船の、美しさかな。

と歌いあげます。
ここには、揶揄(やゆ)だとか、
イロニーだとかはありません
人が生きることは
一瞬

ゴム風船のように
美しいばかりです。

そう、僕は、ゴム風船になります
空に昇つて、光つて、消えて――
そして、語りかけます
やあ、今日は、御機嫌いかが。

そして、この詩の「肝」である

まことに、人生、花嫁御寮。

の1行にたどり着きます。

麦稈真田は、
麦の茎をぺったんこ平らにしたもので、
麦わら帽子やかごなどを作ります。
一本一本を編む、
根気のいる作業ですが、
できあがりも、
碁盤の目のような四角形の整列模様になり、
なんともつましい、
敬虔(けいけん)な営みの
課程であり、結果です。

特別に何かに奉仕する活動ができるわけでもない僕は
これまでよりも、
少しだけ、努力することからはじめます。
ほかに、どんなことをしたのでしょうか。

以前より、本を熟読し
以前より、人に丁寧にし、
テンポよく散歩し、
麦稈真田で帽子を編み、
おもちゃの兵隊のように、
毎日が日曜日のように、
神社の日向をゆったり歩き、
知人に会えばにっこり、
飴売りのじいさんと仲良くなり、
鳩に豆を撒いてやり、
まぶしくなれば日陰に入り、
地面や草木を眺めてみたり、
苔のひんやりしたたたずまいに感じ入り、
佳い日だな、今日はと思い、

いはうやうなき、今日の麗日。
は、言おうにも言えない、なんとも麗しい今日。
の意味でしょうか。

参詣の人々がぞろぞろいても、
腹が立たない。

腹が立たない僕になったのです。

まことに人生、一瞬の夢、
ゴム風船の、美しさかな。

ここで、転調というか、場面転換。
そして、僕は、ゴム風船になります。
あるいは、ゴム風船は文也の面影かもしれません。
詩人もしくは文也が、
ゴム風船に乗っかって、
空に消えていくかのようですが、
実際、そんなことはなく、
消えていくのはゴム風船なのです。
でも、僕が、ゴム風船になって空に消えてゆき、
消えたところで、ぱーっと出てくる感じです。
上手!
やあ、今日は、御機嫌いかが。
と、再び、地上に現れます。

すると、途端に、奉仕の人とは別人の僕が、
友だちと久しぶりにばったり会って、
どこかでお茶しましょ、となって、
喫茶店に入って、
積もり積もった話をしようとしたけど、
意外に、話すことなどなく、
タバコをクサクサ吹かしながら、
なんとも言いがたい覚悟をするように、
お茶をやめて、外へ出ると、
なんとも賑やかな街が息づいていて、
じゃあね、またそのうち、奥さんにもよろしく、
あっちへ行ったら、便りをください、
お酒はほどほどにしたほうがいいよ、
なんて言って、別れます。

ここで、また、転調というか、場面転換というか、
詩人が、顔を出します。
突然のようで、ピタッとはまった2行。

ああ、馬車も通る電車も通る
人生は、花嫁御寮よ

ああ、と言い、よ、と言うのは、
僕である詩人です。

ああ、馬車も通る電車も通る
人生は、花嫁御寮よ

この2行からはじまる6行は、
僕というより、詩人が語る
小説で言えば、地の文に近いものです。
それまで、詩に登場していた僕より、
少し、引いたところで
まことに人生というのは花嫁御寮ですな、
と歌っています。

この起伏というか、
詩の流れというか、が
味わいどころです。

愛するものが死んだ時には、
自殺しなけあなりません。

というはじまりから、
七七調で通し、時に八七をはさんで、
リズミカルに行進してきた詩が、
2の真ん中あたりで

まことに人生、一瞬の夢、
ゴム風船の、美しさかな。

と、詩人の思いを表明し、
2の終わりでも、
同じように、詩人の思いを表明します。
人生の2字が、どちらにも入っています。

馬車も通れば、電車も通る。
まことに人生、花嫁御寮。

まぶしく、美(は)しく、はた俯(うつむ)いて、
話をさせたら、でもうんざりか?

それでも心をポーッとさせる、
まことに、人生、花嫁御寮。

花嫁は、まぶしく、美しく、俯きかげん。
でも、話をさせたら、うんざりかもね
でも、心がぼーっとすることは確実
ああ、人生は花嫁御寮さ。

まことに、人生、花嫁御寮。
この行だけがリフレインします。

「春日狂想」は、
神経衰弱状態を知った母フクの導きで、
昭和12年、1937年1月9日、
千葉市の中村古峡療養所に入院した詩人が、
療養中途に自らの意志で退院を決行(同2月15日)した後、
鎌倉に引っ越し、
それから幾日かして
歌った作品ですが、

詩人がよく作るお道化風の軽快さの底に
文也の死からくる悲しみ、
詩人自身の病からくる苦痛……が
沈んでいるような作品になっていることが
感じられます。

こうして、
最終コーナーを回り
3へ進んでいきます。

「春日狂想」の最終章である3は、
オクターブが上がった感じで、
もはや、いっさいの沈鬱さが失せます。
明るく、快活な調子で、簡潔に、

喜び過ぎず悲しみ過ぎず、
テムポ正しく、握手をしませう。

と、呼びかけるのです。
僕に向ける内省ではなく、
皆さんに向かっての呼びかけとなります。

ハイ、ではみなさん、ハイ、御一緒に――

どこか、独り芝居の空気がただよう感じに
一種、狂気を嗅ぎ取る人もありますが、
詩人は、ちゃんと、
タイトルを「狂想」としています。
狂気が感じられてもおかしくありませんが、
それは詩人によって
あらかじめ意識されたことです。

この詩を歌って10か月も経たない
10月22日に
詩人は亡くなります。


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