寒い!

毎日寒くてやりきれぬ。
瓦(かわら)もしらけて物云(ものい)わぬ。
小鳥も啼(な)かないくせにして
犬なぞ啼きます風の中。

飛礫(つぶて)とびます往還(おうかん)は、
地面は乾いて艶(つや)もない。
自動車の、タイヤの色も寒々と
僕を追い越し走りゆく。

山もいたって殺風景(さっぷうけい)、
鈍色(にびいろ)の空にあっけらかん。
部屋に籠(こも)れば僕なぞは
愚痴(ぐち)っぽくなるばかりです。

こう寒くてはやりきれぬ。
お行儀(ぎょうぎ)のよい人々が、
笑おうとなんとかまはない
わめいて春を呼びましょう……

(一九三五、二)

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ひとくちメモ

「寒い!」は
「歴程」第1巻第1号(昭和10年5月1日発行)に発表された作品。

制作は
詩末尾に(一九三五・二)とあり
1935年2月が確定されますから
帰省中の作であることがわかります。
詩人は
昭和9年12月9日から同10年3月末の間
故郷山口に帰省していました。

「歴程」の同じ号に
「北の海」が載りましたが
この詩の末尾にも
(一九三五・二)とあり
制作時期が同一であることがわかりますが
ほかにも「我がヂレンマ」が
同時期の制作で
山口で作られたことになります。

「我がヂレンマ」で
村落共同体で暮すことの
息苦しさを歌った詩人が
今度は
「寒い」と表現を変えて歌うのは
何に関してなのでしょうか――。


小鳥

飛礫
地面
自動車
タイヤ



……

これらが
この詩では
みな「寒い」の主語です
「寒い」を誘発する原因です。

寒いとは
そもそも
村落共同体の属性ではありません。
詩人の身体が受容する
自然現象に過ぎませんが
では
詩人は自然現象を歌ったのかといえば
そうではありますまい。
「喩」として
「寒い」といっているだけです。

目に見える
なんでもかんでもが「寒い」のですから
これではやりきれないのは当然で
こうなっては
お行儀のよい人々に
笑われてバカにされようが
構いはしないから
ワーッと大声を出して
春を呼び寄せましょう。

詩人を「寒い」と感じさせている
冬の景色……
街も山も
みんな打ち解けてこない
応えてこない
馴染んでこない

叫び出したいほどに
寒いと感じさせるものの正体は
いったい
何者(物)でしょうか。

同じ時期に歌われた
「北の海」の
人魚ではない
海の浪の
空への呪いに通じていく何かでしょうか――。


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