落 日

この街(まち)は、見知らぬ街ぞ、
この郷(くに)は、見知らぬ郷ぞ

落日は、目に沁(し)み人はきょうもまた
褐(かち)のかいなをふりまわし、ふりまわし、
はたらきて、いるよなアー。

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ひとくちメモ

「落日」も
昭和10年(1935年)5月15日発行の
早稲田大学新聞学芸欄に掲載された作品。
同新聞には
「詩二篇」の題で
「雨の降るのに」も掲載されました。
 
作られたのは
発行日の2週間から2か月前の計算になりますから
昭和10年4月中旬〜5月初旬(推定)ということになります。
 
同じころ
帝国大学新聞(昭和10年5月13日付け)に
「春日閑居」が発表されていますから
「雨の降るのに」
「落日」
「春日閑居」
の3作は
同時期の制作と考えられています。
 
「落日」も
「雨の降るのに」や
「春日閑居」と同様に
編集部の無知・無神経な扱いを受けた作品で
5行の詩として提出したものが
無断で改行を加えられ
7行の詩として掲載されてしまいました。
 
詩人は
印刷物になった詩の切り抜きを
「SCRAP BOOK」に貼付して
「詩の行を勝手に切るくらゐ平気なり 蛮人が多いといふことなり」と
大学生の編集部を批判しています。
 
この詩も
「雨の降るのに」同様
「SCRAP BOOK」上の書き込みを
著者校正とみなして
2行3行の2連構成の詩として
掲出する慣わしになっています。
 
読者が大学生であることを意識したのか
説明をそぎ落として
簡明な詩句を選んでいるような作品ですが
大学生の心に届いたのか
これも今となっては
まったく分からないことになってしまいました。
 
第4行の
「褐(かち)のかひな」は
茶色く日焼けした腕のこと
 
詩人は
赤銅色(しゃくどうしょく)に日焼けした
労働者が
筋肉隆々の腕に
スコップで土を掘り起こす光景を
落日の中に目撃したのでしょうか。
 
早稲田界隈の
活気溢れる街並みを
詩人は
異邦人さながら
歩いているかのようですが
 
この街(まち)は、見知らぬ街ぞ、
この郷(くに)は、見知らぬ郷ぞ
 
とある街そして郷は
東京であるよりは
旅先の見知らぬ土地に違いなく
異邦人の心を持って歩くなら
やはり旅先での心境と
受け取ったほうが無理がありません。
 
この年の3月
詩人は
長門峡に遊んでいますから
その行き帰りに見た風景なのかもしれません――。
 
赤銅色のかいなを振り回すのは
きっと漁師でしょう
艪を漕ぐ仕草か
網を投げる仕草か
夕陽を浴びて
働いている漁師の姿が浮かびます。


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