自 滅

親の手紙が泡吹いた
恋は空みた肩揺(ゆ)った
俺は灰色のステッキを呑(の)んだ

足 足
  足 足
     足 足
         足

万年筆の徒歩旅行
電信棒よ御辞儀(おじぎ)しろ
お腹の皮がカシャカシャする
胯(また)の下から右手みた

一切合切(いっさいがっさい)みんな下駄
フイゴよフイゴよ口をきけ
土橋(どばし)の上で胸打った
ヒネモノだからおまけ致します

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ひとくちメモ

タイトルに「自滅」と付けられた理由が
見当もつかないところに
ダダイズムの詩は
真骨頂を現します。

というのは
この詩
はじめから終わりまで
それぞれの行と
次の行のつながりは
おおよそ見当がつくのですが
最後の2行――

土橋の上で胸打つた
ヒネモノだからおまけ致します

で、往生し
ここを突破出来れば
なるほど!と
拍手したくなる詩のようだからです。

親の手紙が泡吹いた

は、親は、父・謙助か、母・フクか
なにやら
あきれ返って
怒るに怒れないで
泡を吹いている

恋は空みた肩揺つた
俺は灰色のステッキを呑んだ

は、俺達、つまり詩人と泰子は
空を仰いで
ふーっと溜め息でもついたか
肩を揺すって吹き出したかしたけれど
俺の心は冴えず灰色
親父のステッキを飲み込んじゃったように
体の中に親父のことが残っている

詩人は
詩人を溺愛した父親を
うとましく感じる一方
親思いの優しい心立てを失っていません。

それでも
歩くのです
歩いたのです
歩くことをはじめたのです
詩人になる決意を
ひるがえすことは出来ません。

胸のポケットに
一本の万年筆をさして
詩を書くための旅立ちです。
電信柱よ
詩人様のお通りだい
お辞儀しろい

歩き疲れて
ハラペコになって
腹の肉がペチャンコになっちゃって
皮がカチャカチャいってるぜ
股下から右手が見えちゃってら

歩いて
歩いて
また
歩き
みんな下駄になってしまったよ

ふいごよ
ふいごよ
風を送れ
俺に口をきいてくれ

かくして
さしかかった土橋の上で
俺は
胸を打ったのさ
そいつあ
ちとばかり
ヒネモノだからさあ
おまけいたしますがな

(「ヒネモノ」は、古くなった物、売れ残った物の意味。転じて、大人びている、老成している、ませていることの意味でも使われます。)

土橋は
石の橋ではなく
木の橋でもなく
もっと原始的なイメージの橋でしょうか。
そこで
詩人は
何事かに胸打たれる
経験をしたのでしょうか。

それは
詩的体験のことでしょうか
詩そのもののことでしょうか。
なんであれ
ヒネモノにつながっているようです。

……

さて
自滅とは
なんでしょうか――。

深追いして
自滅しないほうがよさそうなので
退散退散。



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