(名詞の扱いに)

名詞の扱いに
ロジックを忘れた象徴さ
俺の詩は

宣言と作品の関係は
有機的抽象と無機的具象との関係だ
物質名詞と印象との関係だ。

ダダ、ってんだよ
木馬、ってんだ
原始人のドモリ、でも好い

歴史は材料にはなるさ
だが問題にはならぬさ
此(こ)のダダイストには

古い作品の紹介者は
古代の棺(ひつぎ)はこういう風だった、なんて断り書きをする
棺の形が如何(いか)に変ろうと
ダダイストが「棺」といえば
何時(いつ)の時代でも「棺」として通る所に
ダダの永遠性がある
だがダダイストは、永遠性を望むが故(ゆえ)にダダ詩を書きはせぬ

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ひとくちメモ

あんた
ツベコベ
いつも
ワタシタチのゲイジツに
文句言うけど
あんたは
何者なのさ――。

と言われたかどうか
ついに
自らの寄って立つ
ダダイズムへの
説明責任を果たさなければならなくなって
(名詞の扱ひに)は
作られたのでしょうか。

詩人は
ダダ
ダダイスト
ダダ詩……と
初めてダダイズム(の詩)について
詩の形で表現を試みました。

名詞の扱いは
(詩の言葉は)
俺の場合
ロジックのない象徴ってところかな
(論理なき象徴さ)

宣言と作品は異なるぞ
それは
有機的抽象と無機的具象の関係だ
(どっちがどっちか、間違えるなよ)
物質的名詞と印象との関係だ
(どっちがどっちだか、わかっているな)

それを
ダダっていうんだ
木馬ってことと同じさ
原始人のドモリっていってもいい
(おれは、象徴って言ったばかりだぞ)

歴史は材料にはなる
けれど
問題にはならない
このダダイストにはね

古い作品を紹介する人は
古代の棺はこういうふうだった、なんて
ああでもないこうでもないと説明を加えるもんだ

棺の形がいかなるものであっても
ダダイストが「棺」と言えば
いつの時代でも「棺」なんだ
それで通用するところが
ダダの永遠性だ

だがね
ダダイストは
なにも永遠性だけを望んで
詩を書くというわけじゃないぞ

この詩を書いた頃
富永太郎を知っていましたのでしょうか。
まだ会う以前のことでしょうか。

ダダイズムへの
煮詰まった思索の跡がうかがえる詩です。
とはいえ
この詩も
未完成作品で
タイトルは仮のものです。



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