(汽車が聞える)

汽車が聞える
蓮華(れんげ)の上を渡ってだろうか

内的な刺戟(しげき)で筆を取るダダイストは
勿論(もちろん)サンチマンタルですよ。

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ひとくちメモ

(汽車が聞える)は
未完成の断片みたいなものですが
詩の切れ屑です。
やはりここに
詩のエキスがあるような断片です。
 
前作以降
どこかが変わったような感じ
気のせいでしょうか――。
 
蓮華が現れるのは
また春に戻った感じですが
夏に蓮華を歌っても
変ということにはなりませんから
気にしないことにしましょう。
 
一面のレンゲの花が
冬季休耕中の稲田に満開で
蒸気機関車がその上を通るかのように
汽笛を鳴らして
走ってゆきます。
 
故郷の風景を思い出すには
何かきっかけがあったのでしょう。
 
ダダイストだって
内的な刺戟(しげき)で筆を取るのですよ
そのへんの
サンチマンタリストとこの点では
なにも変わりやしませんさ
 
ただそれだけのことを言って
この詩片は
詩片のままです。
 
次の展開をできないまま
終わっているのは
富永太郎を意識してのこと。
やすやすとは
言えない状況が生まれています。
 
英語のセンチメンタルを
サンチマンタルとフランス語にしたのも
無意識ではないはずです。


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