浮浪歌

暗い山合(やまあい)、
簡単なことです、
つまり急いで帰れば
これから一時間というものの後には
すきやきやって湯にはいり
赤ン坊にはよだれかけ
それから床にはいれるのです

川は罪ないおはじき少女
なんのことかを知ってるが
こちらのつもりを知らないものとおんなじことに
後を見(み)後を見かえりゆく
アストラカンの肩掛(かたかけ)に
口角の出た叔父(おじ)につれられ
そんなにいってはいけませんいけません

あんなに空は額(ひたい)なもの
あなたははるかに葱(ねぎ)なもの
薄暗(うすぐら)はやがて中枢なもの

それではずるいあきらめか
天才様のいうとおり

崖が声出す声を出す。
おもえば真面目不真面目の
けじめ分たぬわれながら
こんなに暖い土色の
代証人の背(せな)の色

それ仕合せぞ偶然の、
されば最後に必然の
愛を受けたる御身(おみ)なるぞ
さっさと受けて、わすれっしゃい、
この時ばかりは例外と
あんまり堅固(けんこ)な世間様
私は不思議でございます
そんなに商売というものは
それはそういうもんですのが。

朝鮮料理屋がございます
目契(もっけい)ばかりで夜更(よふけ)まで
虹や夕陽のつもりでて、

あらゆる反動は傍径(ぼうけい)に入(い)り
そこで英雄になれるもの

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ひとくちメモ

「浮浪歌」以下7篇は
昭和2―3年(1927―28年)に制作(推定)されていますが
4篇は清書原稿、3篇は下書き原稿です。
清書原稿は
タイトルも付けられた完成品がほとんどで
下書き稿は未完成品のことです。
 
「浮浪歌」は
ダダの流れから逸れて
韻律をもった詩を目指そうとしたのか
この詩そのものも
はじめの部分がダダっぽく
後半に入る前から
調子のよい七五のリズムに変わる
おやっと思えるような作品です。
 
(こんなに夜更けになっちゃって)
暗い山間の道(だけれども)、
簡単なことです
 
つまり急いで帰れば
これからまだ1時間後には
すき焼きを囲んで風呂につかり
赤ん坊のよだれかけを取り替えてやったり
それからあったか布団に入れます
 
川は罪のないおはじき少女ってなものです
なんのことかをちゃんと知っている
こちらの思いを知らないものと同じことで
後ろを振り返りながら帰っていくのさ
アストラカンのショールして
口角の突き出た叔父に連れられて
そんな風にいってはいけません
 
あんな空には額なものアンナソラニハガクナモノ
あなたははるかに葱なものアナタハハルカニネギナモノ
薄暗いのはやがて中枢なものウスグライハヤガテチュウスウナモノ
 
それではずるいあきらめかソレデハズルイアキラメカ
天才様の言うとおりテンサイサマノイウトオリ
 
崖が声出す声を出すガケガコエダスコエヲダス
思えばまじめ不まじめのオモエバマジメフマジメノ
けじめ分たぬ我ながらケジメワカタヌワレナガラ
こんなにぬくい土色のコンナニヌクイツチイロノ
代証人の背中の色ダイショウニンノセナノイロ
 
それは幸せぞ偶然のソレハシアワセゾグウゼンノ
されば最後に必然のサレバサイゴニヒツゼンノ
愛を受けたる御身なるぞアイヲウケタルオミナルゾ
さっさと受けて、忘れっしゃいサッサトウケテ、ワスレッシャイ
この時ばかりは例外とコノトキバカリハレイガイト
あんまり堅固な世間様アンマリケンゴナセケンサマ
私は不思議で御座いますワタシハフシギデゴザイマス
そんなに商売というものはソンナニショウバイトイウモノハ
それはそういうもんですのがソレハソウイウモンデスノガ
 
朝鮮料理屋がございますチョウセンリョウリヤガゴザイマス
目契ばかりで夜更けまでモッケイバカリデヨフケマデ
虹や夕陽のつもりでてニジヤユウヒノツモリデテ 
 
あらゆる反動は傍径(わきみち)に入りアラユルハンドウハボウケイニイリ
そこで英雄になれるものソコデヒーロニナレルモノ
 
もうすでに、というべきか
詩人は世間と渡り合い
馴染もうとして馴染めなず
浮浪します浮遊します。
その鬱憤(うっぷん)を歌うようです。
 
七語調の流麗感を
聞き取るだけでもオモシロイ作品です。


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