夜寒の都会

外燈に誘出(さそいだ)された長い板塀(いたべい)、
人々は影を連れて歩く。

星の子供は声をかぎりに、
ただよう靄(もや)をコロイドとする。

亡国に来て元気になった、
この洟色(はないお)の目の婦(おんな)、
今夜こそ心もない、魂もない。

舗道の上には勇ましく、
黄銅の胸像が歩いて行った。

私は沈黙から紫がかった、
数箇の苺(いちご)を受けとった。

ガリラヤの湖にしたりながら、
天子は自分の胯(また)を裂いて、
ずたずたに甘えてすべてを呪った。

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ひとくちメモ

同じ原稿用紙に書かれ
筆記具、インクも同じであるため
「夜寒の都会」は
「少年時」(母は父を送り出すと)と同じ制作日
1927年(昭和2年)1月と
推定されている作品です。

上京してまもなく2年、
泰子に逃げられてから
1年と少しの年月がたっています。
「詩に専心」する
中原中也20歳です。

年号は
大正から昭和に変わりました。
大正15年12月25日に大正天皇が崩御し
同日に皇太子裕仁親王が践祚(せんそ)したため
12月25日から昭和と改元されました。
昭和元年は
7日間しかありませんでした。

中原中也の年譜の
大正15年・昭和元年(1926年)と
昭和2年(1927年)の2年間を
見ておきましょう――。

大正15・昭和元年(1926) 19歳

2月「むなしさ」を書く。
4月、日本大学予科文科に入学。
5-8月にかけて「朝の歌」を書く。
9月、家に無断で日大を退学。その後、アテネ・フランセに通う。
11月「夭折した富永」を「山繭」に発表。
この年「臨終」を書く。

昭和2年(1927年) 20歳

春、河上徹太郎を知る。
8月20日、「富永太郎詩集」(私家版)刊行。
「無題」(疲れた魂と心の上に……)」。
9月に辻潤、10月に高橋新吉を訪問。
11月、河上の紹介で作曲家諸井三郎を知り、音楽団体「スルヤ」との交流始まる。
この年、「ノート小年時」の使用を開始。

「夜寒の都会」が歌っているのは
冬の夜の都会です。
その風景なのですが
ダダに戻ったのか
象徴表現なのか
歌い方に異変が起きています。

星の子供は声をかぎりに、
たゞよふ靄(もや)をコロイドとする。
(小さな星星が精一杯声を出して
空は靄が漂ってコロイド状になっている)

とか

亡国に来て元気になつた、
この洟(はな)色の目の婦、
今夜こそ心もない、魂もない。
(亡国みたいな東京にやってきて元気になった
このハナミズの色をした目をもつ女
今夜という今夜、心も魂もない)

とか

舗道の上には勇ましく、
黄銅の胸像が歩いて行つた。
(舗道を勇ましく
黄銅色の胸像のようにして軍人が歩いていった)

とか
……

冒頭の

外燈に誘出された長い板塀、
人々は影を連れて歩く。

だけが
ストレートな風景描写のほか
全連、全行が
「喩(ゆ)」による
シンボライズされた表現になっています。

第2連の
洟(はな)色の目の婦には
泰子の影があります。

私=詩人は、
沈黙から
紫がかつた数箇の苺を受け取ります。
が、これがどんなものだか
シンボル表現の無限の中に
投げ出されるようで
イメージは回転し続けますが

回転し続ける中で
詩人が受け取った
紫色のイチゴに接近します。
接近することがありますが
それは直ぐにも遠ざかってゆきます。

こうなってきては
最終連

ガリラヤの湖にしたりながら、
天子は自分の胯(また)を裂いて、
ずたずたに甘えてすべてを呪つた。

は、想像の世界です

天子は
詩人ではないのでしょうか――。
天子は
どのような存在でしょうか――。

天子が、自分の胯を裂き
ずたずたに甘えて
すべてを呪った

は、シンボリック表現というより
ダダイスティックではないでしょうか。

ずたずたに甘えて、という
レトリックに撹乱されて
不可能なイメージの世界に迷い出しますが
迷っているうちに
ぼんやりと
キリストの物語が見えてきます。

ああ
主よ!

冬の都会の夜
詩人は
神を望んだのかもしれません。

失恋の歌としても読める作品ですが
失恋はやがて神を願う詩を
詩人にたくさん作らせることになりますから
その早い時期のものかもしれません。

第2連の、
この洟(はな)色の目の婦、
コノハナイロノメノオンナ、
は、長谷川泰子のことでしょう、きっと。
東京に来て
元気になった女が
今宵も
心ここにあらず……
ここ、とは、ぼくのこと、
つまり、詩人につれない態度をとります。
ぼくは、
夜のしじま(静寂)に
取り残され
熟した、赤黒い苺のような
孤独の中にいます。
そうした状態を
イエスの物語にかぶせ、
ダダ的な韜晦(とうかい)
めくらましの術を使って
なにやら、
意味ありげなメッセージとなるのですが、
要するに、
これは、失恋の詩といってよいでしょう。


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