寒い夜の自我像

きらびやかでもないけれど、
この一本の手綱(たづな)をはなさず
この陰暗の地域をすぎる!
その志(こころざし)明らかなれば
冬の夜を、我は嘆かず、
人々の憔懆(しょうそう)のみの悲しみや
憧れに引廻(ひきまわ)される女等の鼻唄を、
わが瑣細(ささい)なる罰と感じ
そが、わが皮膚を刺すにまかす。
蹌踉(よろ)めくままに静もりを保ち、
聊(いささ)か儀文めいた心地をもって
われはわが怠惰を諌(いさ)める、
寒月の下を往きながら、

陽気で坦々として、しかも己を売らないことをと、
わが魂の願うことであった!……

恋人よ、その哀しげな歌をやめてよ、
おまえの魂がいらいらするので、
そんな歌をうたいだすのだ。
しかもおまえはわがままに
親しい人だと歌ってきかせる。

ああ、それは不可(いけ)ないことだ!
降りくる悲しみを少しもうけとめないで、
安易で架空な有頂天を幸福と感じ倣(な)し
自分を売る店を探して走り廻るとは、
なんと悲しく悲しいことだ……

神よ私をお憐(あわ)れみ下さい!

私は弱いので、
悲しみに出遇(であ)うごとに自分が支えきれずに、
生活を言葉に換えてしまいます。
そして堅くなりすぎるか
自堕落になりすぎるかしなければ、
自分を保つすべがないような破目(はめ)になります。

神よ私をお憐れみ下さい!
この私の弱い骨を、暖いトレモロで満たして下さい。
ああ神よ、私が先(ま)ず、自分自身であれるよう
日光と仕事とをお与え下さい!

(一九二九・一・二〇)

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ひとくちメモ

「寒い夜の自我像」は
1929年(昭和4年)1月20日に制作された
全3節の作品ですが
うちの第1節だけが
この年の4月創刊の「白痴群」に
発表されました。

よく間違えられるのですが
普通は「自画像」と書くところを
詩人は「自我像」としています。
自ら描く像=Self-portraitというより
自我の像=Ego-imagesという意味を込めたかったのでしょうか。

「白痴群」に発表した「寒い夜の自我像」は
中原中也の「詩」が
活字になった初めての作品です。

「朝の歌」や「臨終」が
すでに「スルヤ」誌上で「歌詞」として活字になったり
短歌集「末黒野」の発行などがあったりしたのとは異なって
「寒い夜の自我像」は
詩が詩として印刷物になった初めてのことでした。

詩人自身が
そのように自覚したという記録は
存在ませんが
「寒い夜の自我像」は
記念碑的作品といえる作品に間違いありません。

その第一次形態が
「ノート小年時」に書きとどめられているこの作品です。
後に「山羊の歌」に収められるのも
「白痴群」掲載の詩と同様に
第2節、第3節を省略した形態のものですから
ここで
原形が読めるということになります。

第1節だけであるなら
詩人宣言というべき
意志表明の詩句で貫かれていますが
第2節には
長谷川泰子とおぼしき「恋人」が登場し
彼女への忠告、同情、希望……を歌い
第3節では
神への祈りの言葉が歌われますから
第2節、第3節の存在は
詩人宣言としてのメッセージを弱めると判断して
第1節だけを独立した詩として
提供することにしたようです。

きらびやかでもないけれど、
この一本の手綱をはなさず
この陰暗の地域を過ぎる!

その志明らかなれば
冬の夜を、我は嘆かず、

人々の憔懆(しょうそう)のみの悲しみや
憧れに引廻される女等の鼻唄を、
わが瑣細(ささい)なる罰と感じ
そが、わが皮膚を刺すにまかす。

蹌踉(よろ)めくままに静もりを保ち、
聊(いさ)か儀文めいた心地をもつて
われはわが怠惰を諌(いさ)める、
寒月の下を往きながら、

陽気で坦々として、しかも己を売らないことをと、
わが魂の願ふことであつた!……


第1節のすべての行が
詩人の生き方を歌っていて
これを
詩人デビュー作とした意図があったとすれば
的中したものといえるではないでしょうか。

詩人はしかし
長谷川泰子という女性をめぐって
不本意の中にありました。
離別の状態でありながら
交友関係を保ち
失われた恋を恋するかのような
「エターナル・トライアングル」(永遠の三角関係)の中にありました。
そのため
恋は歌われました。

詩人の心の底には
恋の苦しみとは異なって
深い悲しみがありました。
その悲しみが表に出てくるようなとき
何ものも頼りにできるものはなく
悲しみを言葉に換えて
やり過ごそうとするのですが
たいていは
堅くなり過ぎるか
自堕落になり過ぎるかが落ちで
その場しのぎのことにしかなりません。
なんとか
なんとかこの悲しみを
吹き飛ばしてしまいたいと
切に思います。

そんなときに
神は
詩人の前に現れます。
たいていは
真夜中のことです。
そして
詩人が神に望むのは
悲しみを消してほしいという願いなどではなくて……

日光と仕事でした。
明るい陽射しと
詩人の仕事を欲していたのです。

これが
詩人が自ら描いた自我像でした。


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