身過ぎ

面白半分や、企略(たくらみ)で、
世の中は瀬戸物(せともの)の音をたてては喜ぶ。
躁(はしゃ)ぎすぎたり、悄気(しょげ)すぎたり、
さても世の中は骨の折れることだ。

誰も彼もが不幸で、
ただ澄ましているのと騒いでいるのとの違いだ。
その辛さ加減はおんなしで、
羨(うらや)みあうがものはないのだ。

さてそこで私は瞑想や籠居(ろうきょ)や信義を発明したが、
瞑想はいつでも続いているものではなし、
籠居は空っぽだし、私は信義するのだが
相手の方が不信義で、やっぱりそれも駄目なんだ。

かくて無抵抗となり、ただ真実を愛し、
浮世のことを恐れなければよいのだが、
あだな女をまだ忘れ得ず、えェいっそ死のうかなぞと
思ったりする――それもふざけだ。辛い辛い。

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ひとくちメモ

「身過ぎ」は
昭和4年(1929年)6月制作の作品
「白痴群」は4月に創刊されましたから
第2号が出る直前のある日の制作でしょうか。

創刊号に
中原中也の詩は
「詩友に」
「寒い夜の自我像」の2篇が発表されました。

第2号は
昭和4年7月1日に発行され
「或る秋の日」(「山羊の歌」では「秋の一日」に改題)
「深夜の思ひ」
「ためいき」
「凄じき黄昏」
「夕照」の5篇が発表されました。

身過ぎとは
「身過ぎ世過ぎ」の身過ぎのことで
生活とか生計の意味です。
この場合
「詩人渡世」といったニュアンスでしょうか。
詩人を生業にするということが
「白痴群」という発表の場を得て
より現実味を帯びた「テーマ」になりました。

「白痴群」が売れて
それで生業が成立する
などということはあり得ませんが
詩で食っていく、
ということが
いかに不可能であるかを含めて
視野に入ったということで
ここでもまた
詩人論を
自らに確かめる必要に詩人は迫られました。

で、どんな風に
ということになりますが……

導入が唐突な感じで
だ、で終止する行が多く
漢字の抽象名詞が目立ち
措辞は未熟
音数律は完全でなく
ルフランもなく
リズムも整わない
めずらしく単調で
面白味のない詩になりました。

そのことがかえって
詩人渡世の困難さを想像させます。

世の中は
面白半分に生きるヤツか
何事かをたくらんで
今に見ていろと
虎視眈々うかがうヤツか
瀬戸物がこすれるようにやかましく
カラ騒ぎして
はしゃぎ過ぎかしょげ過ぎか
どっちにしても
骨の折れることですな

だれもかれも不幸なのに
何食わぬ顔で澄ましてるか
騒いでまぎらわしているかの違いだけで
辛さに変りはないのさ

だから私は
瞑想や
籠居や
信義などを編み出して試してみたのだが
ぜんぶ駄目だった
信義に立ってみたものの
相手が信義に立たないのだから
駄目だったよ

こうして
私は無抵抗を決め込み
ただ真実を愛し
浮世のことを恐れずにいればよいものだったのですが
どっこい
いい女に惚れてしまって
いまだに忘れられない
いっそのこと
死んでしまおうかと思うほど苦しいことも事実あるのですが
それも本気とまではいかない
もてあそんでいるに留まっている
ああ辛いよ辛い

最終行末尾に来て
辛い辛い、に
リアルが浮かびあがります。



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