夜 店

アセチリンをともして、
低い台の上に商品を並べていた、
僕は昔の夜店を憶(おも)う。
万年草(まんねんぐさ)を売りに出ていた、
植木屋の爺々(じじい)を僕は憶う。

あの頃僕は快活であった、
僕は生きることを喜んでいた。

今、夜店はすべて電気を用い、
台は一般に高くされた。

僕は呆然(ぼうぜん)と、つまらなく歩いてゆく。
部屋(うち)にいるよりましだと思いながら。

僕にはなんだって、つまらなくって仕方がない。
それなのに今晩も、こうして歩いている。
電車にも、人通りにも、僕は関係がない。

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ひとくちメモ

「早大ノート」(1930〜1937)の
真ん中あたり、
「夜空と酒場」の次にあるのが「夜店」。

山口県の小さな町を飛び出し
はじめ京都で暮らし
今や、大東京で一人暮らし……。

長谷川泰子に逃げられ
数少ない友人を求めて
東京の町を歩き回って
ようやく酒談義となるならまだしも
いつも相手が見つかるわけでもなく
ひとり、スタスタ歩く詩人
いつしかトボトボと歩いていることも
しばしばあったことでしょう

明治神宮かどこかの秋祭りの
夜店でしょうか

孤絶感を抱く詩人は
故郷の祭の夜店を思い
あの頃は、元気だったなあ、と
回顧する姿勢で
歩いています。

何もかもが面白くない
何もかもがつまらない
面白いことにぶつからない
電車や人込みも
僕には無縁だ、関係ない

そうじゃいけないと思うから
歩いて歩いて
求めて求めて歩くのですが
今日は
ダメだなあ

詩人が歩くのは
楽しい散歩ばかりではありません。


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