(支那というのは、吊鐘の中に這入っている蛇のようなもの)

支那というのは、吊鐘(つりがね)の中に這入(はい)っている蛇のようなもの。
日本というのは、竹馬に乗った漢文句調、
いや、舌ッ足らずの英国さ。

今二ァ人(ふたぁり)は事変を起した。
国際聯盟(こくさいれんめい)は気抜けた義務を果(はた)そうとしている。

日本はちっとも悪くない!
吊鐘の中の蛇が悪い!

だがもし平和な時の満洲に住んだら、
つまり個人々々のつきあいの上では、
竹馬よりも吊鐘の方がよいに違いない。

ああ、僕は運を天に任す。
僕は外交官になぞなろうとは思わない。

個人のことさえけりがつかぬのだから、
公のことなぞ御免である。

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ひとくちメモ

「早大ノート」は、
早稲田大学の校章と
WASEDA UNIV.という文字が
印刷されたノートで、
詩人は、これを
1930年から1937年まで
使用していたことが考証されています。

このノートを
「早大ノート」と命名したのは
大岡昇平ら
角川版全集の編集陣でした。

(われ等のヂェネレーションには仕事がない)の
一つ手前には
(支那といふのは、吊鐘の中に這入つている蛇のやうなもの)、
その前には
(秋の夜に)という詩篇が並んでいますが
この3作は
1931年の同じ時期に作られたらしく、
内容とか、
作風とか、
歌いぶりとか、
未完成ゆえの自由さとか、
いくつかの
似通っている点があります。

(われ等のヂェネレーションには仕事がない)が
満州事変という時代背景を歌ったものなら
(支那といふのは、吊鐘の中に這入つている蛇のやうなもの)は、
満州事変そのものを歌ったもので、
中原中也の社会への眼差しや
政治や時代への感覚や
戦争に関する思いなどが
窺(うかが)われて
極めて興味深い作品です。

藤原定家のように
「紅旗征戎非吾事」
(こうきせいじゅうわがことにあらず)
ではなく、
プロレタリア詩人のようにでもなく、
ここには
中原中也という詩人の
戦争への「ノン」というスタンスが
明確に表現されているのですから、
こういうところにこそ
学問の目は向けられてほしいものですね。


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