(ナイヤガラの上には、月が出て)

ナイヤガラの上には、月が出て、
雲も だいぶん集っていた。
波頭(はとう)に月は千々に砕(くだ)けて、
どこかの茂みでは、ギタアを弾(かな)でていた。

僕は、発電所の中に飛び込んでいって、
番人に、わけの分らぬことを訊(たず)ね出した。
番人は僕の様子をみて驚いて、
お静かに、お静かに、といった。

ナイアガラの上には、月が出て、
僕は中世の恋愛を夢みていた。
僕は発動機船に乗って、
奈落の果まで行くことを願っていた。

糸が切れた、となさけない声。
それは僕の釣友達であった。
わたしのをお使いさんせー、遠慮いりいせん、
それは船頭の息子だった。

滝の音は、何時(いつ)まで響き、
月の光は、砕けていた。

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ひとくちメモ

(ナイヤガラの上には、月が出て)以降の12作品は
1932年に制作(推定)されました。

(ナイヤガラの上には、月が出て)は、
帰省中に書かれたものか
第4連第3行に、

わたしのをお使ひさんせー、遠慮いりいせん、
(わたしのをお使いなさい、遠慮はいりませんよ)
と、郷里山口の方言が見られます。

ナイアガラの滝の映像を
詩人は
映画ニュースか雑誌かで見たのでしょうか。

水しぶきが繰り返し砕け散る様子は
「割れて砕けて裂けて散るかも」(源実朝)に似て
心の鬱屈を紛らわすのに十分だったに違いありません。

ナイアガラ滝の上には、月が出て
かき消すような雲も湧いて出ていて
どこからか、ギターの音が響いていて
滝の轟音と反響している

ほとばしる水の狂躁が僕を押し出す
僕は発電所に入っていって
わけのわからぬことを番人に尋ねると
番人は僕の様子に驚き
お静かに、お静かに、となだめるのだった

ナイアガラの上には月が出ていて
怒り狂っている水流とは
まるで無縁なように月が出ているので

僕は中世の騎士たちの恋愛を
してみたいと夢見ていた
エンジン付きの船に乗って
ぶっ飛ばして
奈落の底の果ての果てまで
行っちゃってしまいたかった

そこへ
糸が切れた、と情けない声がした
僕の釣り友達だった
わたしのをお使いなさい
遠慮はいりませんよー
こんどは船頭の息子が言った

滝の音はいつまでも
いつまでも響きやまなかった
月光は、砕けていた

荒れ狂い
怒り狂う
ナイアガラ滝の奔流は
詩人の
この時期の心の状態を映し出しています。

神経衰弱が進行しているとはいえ
詩心に衰えは見られず、
滝の逆巻く奔流は
詩心そのものでもあるようです。


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