(それは一時の気の迷い)

それは一時の気の迷い、
あきらめなされというけれど、
迷いがほんとかほんとが迷いか、
迷いこそほんとうであろうとおもう

いいえ、いけませんいけません、
そんなことはいけません、か?

なんでいけないというのやら、
理由はまだ誰からも聞かぬ

だって、あなた、だって、だってか、
――なんとも退屈な人生ではある

何時(いつ)教わり、何処(どこ)で覚えたとも分らない、
こんな真面目面(まじめづら)を、この小娘はしているよ

かくて人間は生れ、人間は死に、
だって、あなた、だって、だってだ

少しばかりの憧れと、盛り沢山な世話場との
チェッ、結構な佃煮(つくだに)だい。

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ひとくちメモ

(それは一時の気の迷ひ)には
具体的な情景がない
だれだか他人の喋(しゃべ)りと
詩人の呟(つぶや)きがあるだけです。

ですから
この詩が
東京で書かれても
故郷山口で書かれても
列車の中で書かれても
おかしいことではありません。

詩人は
比較的近い過去に
近辺のだれかが喋った
常套句のような言葉のいくつかを
思い出しています――。

だれもかれもが
詩人の意に沿わない言葉を
ああだこうだと語り
詩人は今
その一つひとつを
口真似してみます。

いけないいけない、と言われても
まだ理由を聞いていないよ
と、詩人は思いますが
強い反論の言葉は吐きませんし

だってだって、と言われても
むきに
反論してもはじまらないことですから、
――なんとも退屈な人生ではある
と、感じるだけです。

それにしてもまあ
いつどこで覚えたのか
こんなに真面目腐った顔をして
可愛げをなくしてしまったこの娘
どこの娘かって
怒ってもはじまらない

生れたからに人は育ち
育つことは死に近づくことでもある
人の世さ、人の命さ

ちっぽけな憧れと
お涙頂戴シーンのてんこ盛りとで
僕の人生が
まったくもう
佃煮(つくだに)状態ですよ。

風景は見えず
ただ残念がる詩人ですが
これを
求婚に失敗した悔しさと
読むかどうかは
人それぞれです。


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