なんの楽しみもないのみならず
悲しく懶(ものう)い日は日毎続いた。
目を転ずれば照り返す屋根、
木々の葉はギラギラしていた。

雲はとおく、ゴボゴボと泡立って重なり、
地平の上に、押詰っていた。
海のあるのは、その雲の方だろうと思えば
いじくねた憧れが又一寸(ちょっと)擡頭(たいとう)する真似をした。

このような夏が何年も何年も続いた。
心は海に、帆をみることがなかった。
漁師町の物の臭(にお)いと油紙(あぶらがみ)と、
終日陽を受ける崖とは私のものであった。
可愛い少女の絨毛(わくげ)だの、パラソルだの、
すべて綺麗(きれい)でサラサラとしたものが、
もし私の目の前を通り過ぎたにせよ、そのために
私の眼が美しく光ったかどうかは甚(はなはだ)だ疑わしい。

――今は天気もわるくはないし、暴風の来る気配も見えぬ、
よっぽど突発的な何事かの起らぬ限り、
だから夕方までには浜には着こうこの小舟。
天心に陽は熾(さか)り、櫓(やぐら)の軋(きし)る音、鈍い音。
偶々(たまたま)に、過ぎゆく汽船の甲板からは
私の舟にころがったたった一つの風呂敷包みを、
さも面白そうに眺めてござる
エー、眺めているではないかいな。

波々や波の眼(まなこ)や、此(こ)の櫂(かい)や
遠(おち)に重なる雲と雲、
忽然(こつぜん)と吹く風の族、
エー、風の族、風の族

(一九三三・八・一五)


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ひとくちメモ

「夏(なんの楽しみもないのみならず)」は、
「虫の声」
「怨恨」
「怠惰」
の3篇と、
書かれた原稿用紙
筆記具
インク
筆跡が同じものと考証されている作品。

制作日だけみると、
「虫の声」、8月9日
「怨恨」、8月9日
「怠惰」、8月10日
「夏」、8月15日と
1週間足らずで
4篇作ったことになります。

「夏」は、
「怠惰」の終わりの、
僕は寝ころびたいのだよ、
とか
目をつむつて蝉が聞いてゐたい!――森の方……
につらなる
「倦怠の旋律」が歌われ

冒頭の、
なんの楽しみもないのみならず
悲しく懶い(ものうい)日は日毎続いた。
日を転ずれば照り返す屋根、
木々の葉はギラギラしてゐた。

は、「山羊の歌」の中の
「少年時」の終わり、

私は希望を唇に噛みつぶして
私はギロギロする目で諦めてゐた……

に、ワープしたかのような
既視感(デジャブ)を覚えます
しかし、それはつかの間、

噫(ああ)、生きてゐた、私は生きてゐた!

と、命の燃焼が歌われたのとは違って
このような夏が繰り返され
いま

心は海に、帆をみることがなかつた。
漁師町の物の臭(にお)いと油紙(あぶらがみ)と、
終日陽を受ける崖とは私のものであつた。

の状態であり、

可愛い少女の絨毛(わくげ)だの、パラソルだの、
すべて綺麗でサラサラとしたものが、
もし私の目の前を通り過ぎたにせよ、そのために
私の眼が美しく光つたかどうかは甚だ(はなはだ)疑はしい。

という、感動のない日々なのです

夕方までには浜には着かうこの小舟。
という、安泰の日々。


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