朝
かがやかしい朝よ、
紫の、物々の影よ、
つめたい、朝の空気よ、
灰色の、甍(いらか)よ、
水色の、空よ、
風よ!
なにか思い出せない……
大切な、こころのものよ、
底の方でか、遥(はる)か上方でか、
今も鳴る、失(な)くした笛よ、
その笛、短くはなる、
短く!
風よ!
水色の、空よ、
灰色の、甍よ、
つめたい、朝の空気よ、
かがやかしい朝
紫の、物々の影よ……
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ひとくちメモ
「朝」と題する詩は、
いくつかありますが、
「朝(かゞやかしい朝よ)」と
「朝(雀が鳴いている)」の2篇は、
1933年11月10日付け
安原喜弘宛の書簡の内容などから、
同年年11月初旬制作と
推定されているものです。
中原中也は、
1927年(昭和2年)12月15日から
1934年5月まで
日記を書きませんでした。
そのため
日記の書かれなかった期間の活動は
友人知人宛の書簡・葉書を通じてしか
知ることができないことが多く
安原喜弘宛の書簡・葉書は
極めて貴重です。
1933年11月10日付け
安原喜弘宛の書簡を
読んでみましょう。
表 東京市目黒区下目黒四丁目八四二 安原喜弘様
裏 十日 山口市湯田 中原中也
御無沙汰しました お変わりありませんか
紀元の十二月号まだ印刷屋にも廻つてゐない由云って来ましたが 出せるものならもう二三号は出したいものと思ひます 僕女房もらうことにしましたので 何かと雑用があり 来ていただくことが出来ません 上京は来月半ばになるだらうと思ひます ランボウの書簡とコルビ-エールの詩を少しと訳しました 自分の詩も三つ四つ書きましたが、書直して送る勇気が出る程のものではありません お天気の好い日は、野道を歩きますが、まぶしくて、眼の力が弱つたことを感じます
(以下略)
略した部分には、
コルビエールの
「巴里」という詩(ソネット)の訳詩14行や
「えゝ?」という詩の訳が書かれ
詩人のコメントが付けられています。
この書簡の中に
「自分の詩も三つ四つ書きましたが、書直して送る勇気が出る程のものではありません」
とある詩が、
「朝(かゞやかしい朝よ)」と
「朝(雀が鳴いている)」の2篇と推定されています。
この2篇の詩の制作日が
1933年11月初旬とされるのは
安原宛のこの書簡と
この2篇の詩篇が書かれた
原稿用紙、筆記具、インク、筆跡が
同じものであることから
書かれた日も同じころであるという
推定ができるからです。
「朝の歌」(1926年)から
7年以上が経過しています。
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