鳥たちと畜群と、村人達から遐(とお)く離れて、
私はとある叢林の中に、蹲(しゃが)んで酒を酌んでいた
榛(はしばみ)の、やさしい森に繞られて。
生ッぽい、微温の午後は霧がしていた。

かのいたいけなオワズの川、声なき小楡(こにれ)、花なき芝生、
垂れ罩(こ)めた空から私が酌んだのはーー
瓢(ひさご)の中から酌めたのは、味もそっけもありはせぬ
徒(いたずら)に汗をかかせる金の液。

かくて私は旅籠屋(はたごや)の、ボロ看板となったのだ。
やがて嵐は空を変え、暗くした。
黒い国々、湖水々々(みずうみみずうみ)、竿や棒、
はては清夜の列柱か、数々の船著場か。

樹々の雨水(あめみず)砂に滲(し)み
風は空から氷片を、泥池めがけてぶっつけた……
ああ、金、貝甲の採集人かなんぞのように、
私には、酒なぞほんにどうでもよいと申しましょう。

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ひとくちメモ

中原中也訳の「涙」Larmeは
昭和3年に
大岡昇平が中原中也からフランス語を習ったとき
中原中也が担当した「飾画」の中の
テキストとして例示されている作品です。

彼は「眩惑」「涙」「などを、私は「谷間の睡眠者」「食器戸棚」「夕べの辞」「フォーヌの顔」「鳥」「盗まれた心」を訳し、二人で検討した。

――と、大岡昇平は
タイトル名を挙げているのですから
かなりはっきりした記憶にあったものに違いありません。

「涙」を中原中也は
「紀元」」の昭和11年5月号に発表しました。
これが初出で第1次形態となりますが
「ランボオ詩集」(昭和12年)に収められた第2次形態は
ごくわずかな修正が加えられただけです。

昭和3年の翻訳に
大岡昇平の訳(意見)が取り入れられている可能性は
否定できませんが、
昭和11年、12年の決定稿に
どのように生かされているのかは
大岡昇平が死亡して後、
いっそう手掛かりを無くしています。

遐(とほ)く離れて
蹲(しやが)んで
やさしい森に繞(めぐ)られて
垂れ罩(こ)めた空

――これらの漢字の使用

生ツぽい、微温の午後は霧がしてゐた。
味もそつけもありはせぬ
ボロ看板となつたのだ。

湖水々々(みづうみみづうみ)、

あゝ、金、貝甲の採集人かなんぞのやうに、
私には、酒なぞほんにどうでもよいと申しませう。

――これらの口調・口ぶりに
ランボーの翻訳に取り組みはじめた頃の
中原中也が感じられるのは
「いじくり回せば死ぬ」と
詩心のツボを心得ていた詩人を見るようで
なんとも面白いところです。

「涙」は
「地獄の季節」の「言葉の錬金術」に引用されていることでも広く知られています。

ひとくちメモ その2

ランボーの「涙」Larmeは
「地獄の季節」にランボー自らが引用していることでも広く知られていますが、
中原中也は「地獄の季節」を訳していませんから
小林秀雄訳で読んでみることにします。

鳥の群れ、羊の群れ、村の女たちから遠ざかり、
はしばみの若木の森に取りまかれ、
午後、生ぬるい緑の霞に籠められて、
ヒースの生えたこの荒地に膝をつき、俺は何を飲んだのか。

この稚(おさな)いオアーズの流れを前にして、俺に何が飲めただろう。
――楡(にれ)の梢に声もなく、芝草は花もつけず、空は雲に覆われた。――
この黄色い瓠(ひさご)に口つけて、ささやかな棲家(すみか)を遠く愛しみ、
俺に何が飲めただろう。ああ、ただ何やらやりきれぬ金色の酒。

俺は、剥げちょろけた旅籠屋(はたごや)の看板となった。
――驟雨(しゅうう)が来て空を過ぎた。
日は暮れて、森の水は清らかな砂上に消えた。
『神』の風は、氷塊をちぎりちぎっては、混沌にうっちゃった。

泣きながら、俺は黄金を見たが、――飲む術はなかった。

(岩波文庫「地獄の季節」2005年10月5日第68刷より)

これが「地獄の季節」中「錯乱Ⅱ」の
「言葉の錬金術」に引用されている「涙」を
小林秀雄が翻訳したものです。

最初は試作だった。俺は沈黙を書き、夜を書き、描き出す術もないものを控えた。俺は様々な眩暈(げんうん)を定着した。

――と書かれたのに続けて、
この詩が引用され、
連続して「朝の思い」も引用されます。

さらに
「一番高い塔の歌」
「飢」
「永遠」
「幸福」をランボーは引用するのですが
「言葉の錬金術」の章は
これらの詩との決別を告げて終ります。

ランボーは記します。

過ぎ去った事だ。今、俺は美を前にして御辞儀の仕方を心得ている。

――と。

昭和23年3月、雑誌「展望」誌上に
小林秀雄は「ランボウの問題」(後に「ランボオⅢ」と改題)を発表、
最後のランボー論を披瀝します。

その結末部では、
ランボーがアフリカで撮った写真に触れて
アデン発のランボーの書簡を引用、

「嘗ては、自ら全道徳を免除された道士とも天使とも思った俺が、今、務めを捜さうと、この粗ら粗らしい現実を抱きしめようと、土に還る」と「地獄の季節」で書いた彼は、今、本当の地獄を抱いた様である。

――と、結論のようなものを表明して後、

彼が、故郷のオアーズの流れを前にして歌った歌が、僕の心を横切る。

――として、「涙」の全文を引用するのです。
「僕」とは、言うまでもなく、小林のことです。

そして、

これが、いつも具体世界との直接の取引に終始した彼が生涯に歌う事の出来た唯一の抒情詩であった。

――と、読み(=解釈・鑑賞)を入れます。

そして、続けます。

何故かと言うと、彼が飢渇という唯一つの抒情の主題しか持っていなかったからである。感傷でもない、懐疑でもない、まさに抒情詩なのだが、あらゆる抒情詩の成立条件を廃棄した様に見えるその純粋さを前にしては、凡そ世上の所謂抒情詩は、贅肉と脂肪とで腐っている。

何の感情もないところから、一つの感情が現れて来る。殆ど虚無に似た自然の風景のなかから、一つの肉体が現れて来る。

彼は河原に身を横たえ、飲もうとしたが飲む術がなかった。彼は、ランボオであるか。どうして、そんな妙な男ではない。それは僕等だ、僕等皆んなのぎりぎりの姿だ。
(文春文庫「考えるヒント4」より)

――と、記すのです。

小林秀雄の呼吸が
揺れているような記述です。

ひとくちメモ その3

これが、いつも具体世界との直接の取引に終始した彼が生涯に歌う事の出来た唯一の抒情詩であった。

何故かと言うと、彼が飢渇という唯一つの抒情の主題しか持っていなかったからである。感傷でもない、懐疑でもない、まさに抒情詩なのだが、あらゆる抒情詩の成立条件を廃棄した様に見えるその純粋さを前にしては、凡そ世上の所謂抒情詩は、贅肉と脂肪とで腐っている。

何の感情もないところから、一つの感情が現れて来る。殆ど虚無に似た自然の風景のなかから、一つの肉体が現れて来る。

彼は河原に身を横たえ、飲もうとしたが飲む術がなかった。彼は、ランボオであるか。どうして、そんな妙な男ではない。それは僕等だ、僕等皆んなのぎりぎりの姿だ。
(文春文庫「考えるヒント4」より)

――と、小林秀雄はランボーの「涙」を鑑賞するのですが、
鑑賞は激し、
呼吸は乱れはじめたところで打ち切られます。

そして、ランボーの死を記述し
クローデルがランボーの死を歌った詩を引用した後に、

僕の拙い訳が、読者がランボオを知る機縁又は彼を読む幾分の参考になれば幸いだと思っている。

――と、第三者のナレーションのような結語で
この論考を終えてしまうのです。

中原中也訳の「涙」Larmeと
小林秀雄訳とは
身の入れ方が
こんなにも異なります。

小林秀雄が
「地獄の一季節」を「文学」に連載を始めたのは
昭和4年10月発行の第1号から4回にわたりましたが
昭和5年に「地獄の季節」(白水社)として単刊発行します。
この時、「涙」や「朝の思い」を散文詩の形として訳出し、
昭和13年に岩波文庫から発行した時になって
各行を分けた韻文詩の形に改めました。

中原中也と大岡昇平がフランス語の「授業」を行っていた頃、
小林秀雄の「地獄の季節」の翻訳はどの程度進んでいたのか
昭和3年から5年あたりにかけての
中原中也、小林秀雄、大岡昇平の交流はどんなだったか――

すぐさま
昭和3年3月、小林秀雄の紹介で大岡昇平を知る。
同5月、小林が長谷川泰子との生活に終止符を打ち奈良へ去る。泰子はその後もたびたび中也と会うが、二人は再び同居することはなかった。
昭和4年4月、「白痴群」創刊、
昭和5年4月、「白痴群」廃刊
――といった「事件」が年譜から拾えますが

年譜をよく見ると
昭和4年末には、

この年から、ヴェルレーヌ「トリスタン・コルビエール」(「社会及国家」)など、翻訳の発表始まる。この年、「ノート翻訳詩」の使用開始。

――とあるのにぶつかります。

「長谷川泰子という事件」と
「ランボーという事件」が
からまりあって進行していたことが
ぼんやりと見えてくるのですが
あくまでもぼんやりとしています。

ランボーが
「言葉の錬金術」の最初の頃の「試作」として挙げた「涙」、
様々な眩暈(げんうん)を定着した詩として書いた「涙」に関して
その翻訳にあたった中原中也と大岡昇平は
どのような会話を交わしたことでしょうか
小林秀雄からのサジェスチョンがなにがしかあったでしょうか
「地獄の季節」の一節を念頭に置きながら
「涙」は翻訳されたでしょうか。

鳥や獣の群れや、村人たちから遠ざかり
とある草叢(くさむら)にしゃがんで酒を飲む
ヘイゼルナッツの木がそよぎ
生ま温かい午後に、霧が立ち込めている

……

これらの詩句を
原語の朗読で聴いてみると
行というよりは連が一塊(ひとかたまり)に発声されていて
韻律はその中に溶け込んでいるのが分かります

その上に「意味」が絡まり
イメージが飛び交いはじめれば
詩人ランボーがもくろんだ「めまい」が
読み手にも伝染していくような時が訪れるかもしれません。


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