最も高い塔の歌

何事にも屈従した
無駄だった青春よ
繊細さのために
私は生涯をそこなったのだ、

おお! 心という心の
陶酔する時の来らんことを!

私は思った、忘念しようと、
人が私を見ないようにと。
いとも高度な喜びの
約束なしには

何物も私を停めないよう
厳かな隠遁よと。

ノートルダムの影像(イマージュ)をしか
心に持たぬ惨めなる
さもしい限りの
千の寡婦(かふ)等も、

処女マリアに
祈ろうというか?

私は随分忍耐もした
決して忘れもしはすまい。
つもる怖れや苦しみは
空に向って昨日去(い)った。

今ただわけも分らぬ渇きが
私の血をば暗くする。

忘れ去られた
牧野ときたら
香(かおり)と毒麦身に着けて
ふくらみ花を咲かすのだ、

汚い蠅等の残忍な
翅音(はおと)も伴い。

何事にも屈従した
無駄だった青春よ、
繊細さのために
私は生涯をそこなったのだ。

ああ! 心という心の
陶酔する時の来らんことを!

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ひとくちメモ その1

中原中也訳の「最も高い塔の歌」Chanson de la plus haute Tourは
「飾画篇」の11番目にありますが、
「五月の旗」(中原中也訳は「忍耐」)
「永遠」
「黄金時代」とともに
「忍耐の祭」のタイトルで一つの組詩を構成する、
というのがメッサン版などの解釈です。

第2次ベリション版を原典とする中原中也訳は
単独の詩として扱います。

「永遠」などと同様に
メッサン版「ランボー詩集」に依拠するテキストは
詩本文末尾に「1872年5月」と付され、
詩句の配列などにも
第2次ベリション版とは異同があります

また、「地獄の季節」に
バリアントが引用されているのも
「永遠」などと同様です。

何事にも屈従した
無駄だった青春よ

――とはじまるフレーズが強烈な印象を残し
そのルフランが終わり近くに現れて
また印象的な詩です。

ランボーに
何が起ったのだろうか、
何を言わんとしているのだろうか、と
自然に目を凝らすポーズになりますが
同時に、
中原中也が
「在りし日の歌」の「後記」に
「さらば東京!おお、わが青春!」と記したのが
オーバーラップしてきたりもします。

1872年5月は
ランボー17歳
誕生日は10月20日です。

「地獄の季節」は
1873年11月完成だとすると、19歳――。

青春の真っ只中に
青春を振り返る
ランボー。

屈従した青春
無駄だった青春
……

繊細さのために
生涯をそこなった
……

「地獄の季節」では
「錯乱Ⅱ」の「言葉の錬金術」の中で
「涙」
「朝の思ひ」の後に引用されます。

「最も高い塔の歌」を引用する前に、

それから俺は語の幻覚を使って俺の魔術的な詭弁(ソフィスム)を説明したのだ!

俺はとうとう自分の精神の混乱を聖なるものと思うようになった。
俺は重い熱病にさいなまれて何もしないでぶらぶらしていた。動物たちの至福がうらやましかった、――辺獄(リンボ)の無垢を象徴する毛虫たちや、処女性の眠りであるモグラが!

俺の性格はとげとげしくなっていった。恋愛詩(ロマンス)の類の詩のなかで、俺はこの世に別れを告げていたのだ。(鈴木創士訳。改行を加えてあります。編者。)

――と、ランボーは述べています。

「この世に別れを告げていた」という断言に続いて
「最も高い塔の歌」が引用されたということは
この詩が「別れ」を告げた詩であるということなのか。
「この世に別れ」というのは、「死」を意味するのか。
でなければ、何に対しての別れか。

解釈は
さまざまにできますが、

屈従した青春、
無駄だった青春、
繊細さのために
生涯をそこなった

などとはじまる詩のリードとして
すんなり繋がっていきます。

繋がったところで
読み進めましょう。

ああ! 心という心の
陶酔する時が来てくれればいい!

私は思った、もう忘れてしまおうと、
人が私を見ないようにと。
とても高度な喜びの
約束なしには

何物も私を止めないように
厳かな隠棲なのだ。

ノートルダムのイメージをしか
心に持たない惨めな
さもしい限りの
後家さんたちも、

マリア様に
祈ろうというのか?

私はずいぶん忍耐した
決して忘れることはない。
積もる怖れや苦しみは
空に向かって昨日去った。

今はただ理由もわからぬ渇望が
私の血を暗くする。

忘れ去られた
野原といえば
香りと毒麦を着けては
膨らんだ花を咲かせるのだ。

きたないハエどもの残忍な
羽音をともなって。

何事にも屈従した
無駄だった青春よ、
繊細さのために
私は生涯を損なったのだ。

ああ! 心という心の
陶酔する時が来てくれればいい!

ひとくちメモ その2

中原中也訳の「最も高い塔の歌」Chanson de la plus haute Tourの
「最も高い塔」とは
そもそも何のことでしょうか?
「歌」=Chansonも気になりますが

屈従した青春、
無駄だった青春、
繊細さのために
生涯をそこなった

――と歌う詩が「最も高い塔」というタイトルを持つこと自体が
「ランボーという謎」です。

それは
詩の中にしか答えのない謎です。
その筈(はず)ですから
詩を読む中で
答えを見つけ出していくほかにありません。

そのようにして
ふたたび
詩を読んでいくと……。

これに続く行の

あゝ! 心といふ心の
陶酔する時の来らんことを!

――の「陶酔」のことではないか

「最も高い塔の歌」とは
この「陶酔」、
「心と心の」「陶酔」を指すのではないか、と思えてきます。

ランボーは
自らを振り返ります。

私は思つた、忘念しようと、
人が私を見ないやうにと。
いとも高度な喜びの
約束なしには

何物も私を停めないやう
厳かな隠遁よと。

――と。
これが、いつの時代か
ランボーの履歴のいつごろのことだか
断定できませんが
振り返った過去の早い時期。
それから、次の時期が、

ノートルダムの影像(イマージュ)をしか
心に持たぬ惨めなる
さもしい限りの
千の寡婦等も、

処女マリアに
祈らうといふか?

――と歌う(シャンソン)ことができる期間。

そして、
その次が

私は随分忍耐もした
決して忘れもしはすまい。
つもる怖れや苦しみは
空に向つて昨日去(い)つた。

今たゞわけも分らぬ渇きが
私の血をば暗くする。

――の時期。

そしてまた、次の時期は、

忘れ去られた
牧野ときたら
香(かをり)と毒麦身に着けて
ふくらみ花を咲かすのだ、

汚い蠅等の残忍な
翅音(はおと)も伴ひ。

――という時期。

いくつかの時期を経過して
それらの過去は、

何事にも屈従した
無駄だつた青春よ、
繊細さのために
私は生涯をそこなつたのだ。

――という青春だった。

であるから

あゝ! 心といふ心の
陶酔する時の来らんことを!

――と、
「最も高い塔の歌」を
俺は歌う……。

「地獄の季節」「錯乱Ⅱ」の「言葉の錬金術」では
1年ほど前に歌った、
この「最も高い塔の歌」が
過去の産物になります。

俺の性格はとげとげしくなっていった。恋愛詩(ロマンス)の類の詩のなかで、俺はこの世に別れを告げていたのだ。

――という述懐になるのです。

再び、では、
「この世に別れを告げていた」というのは、「死」を意味するのか?
でなければ、何に対しての別れか?
――という問いを問うことになります。

その答えは
もはや
「最も高き塔の歌」の中には求められず
ランボーの行動の中に求められるだけのことになります。

ひとくちメモ その3

中原中也訳の「最も高い塔の歌」Chanson de la plus haute Tourは
「地獄の季節」の「錯乱Ⅱ」「言葉の錬金術」の中に
「涙」
「朝の思ひ」
「飢餓の祭り」
「永遠」
「幸福」とともに引用される詩の一つです。

「地獄の季節」は
小林秀雄の翻訳で読むと、

序詞(と、ここでは呼んでおきます。リード=前文のこと)
「悪胤」
「地獄の夜」
「錯乱Ⅰ」(「狂気の処女」「地獄の夫」)
「錯乱Ⅱ」(「言葉の錬金術」)
「不可能」
「光」
「朝」
「別れ」
――という「散文詩」で構成されています。

これらは、
末尾に1873年、4月―8月という日付けがあり
1872年に作られた単独詩のアップ・バージョンの位置にあります。

中原中也とこの詩「最も高い塔の歌」との接触は

① 富永太郎が片瀬江の島に転地療養中の大正14年、
② 小林秀雄の処女批評「人生斫断家アルチュル・ランボオ」を通じて
――と、早い時期に少なくとも2度あったことが確認されています。

①は、大岡昇平が
「富永太郎――書簡を通して見た生涯と作品」の中に
小林秀雄と中原中也が富永太郎を見舞った時のことを記録し、
「最も高い塔の歌」のフレーズを巡って
具体的に交わされた会話が明かされています。

②は、小林秀雄が大正15年、
「仏蘭西文学研究」第1号に発表したランボー論で
中に「最高塔の歌」のタイトルで一部を引用、
中原中也は、
同年12月7日付けの小林宛書簡で
この論文を「面白く読んだ」などと書き送っています。

中原中也は、
早い時期に「最も高い塔の歌」に触れていたのですが
昭和2年には
「小詩論」の題で
この詩の一部を引用して
詩論を書いているほどのこだわりを見せています。

「最も高い塔の歌」の

今たゞわけも分らぬ渇きが
私の血をば暗くする。

――の行に対応したかのように

そして僕の血脈を暗くしたものは、
「対人圏の言葉」なのです。

――などと記して、
この「小詩論」の結語としているのですから、
この詩に並々ならぬ関心を寄せていたことが分かりますし、
「対人圏の言葉」とあるのは
「山羊の歌」集中の自作詩のいくつかに使われている
中原中也独特のボキャブラリーに通じています。

有名な「修羅街輓歌」のフレーズで

それにしても私は憎む、
対外意識にだけ生きる人々を。
――パラドクサルな人生よ。

――を、ただちに連想してもたいして的外れではないでしょう。

ランボーの翻訳に使うボキャブラリーと
自作創作詩に使う言葉が
相当早い時期に
中原中也の中で交錯していたことを
「最も高い塔の歌」への接触の跡に
垣間見ることができるのは
驚きです。

ひとくちメモ その4

「最も高い塔の歌」Chanson de la plus haute Tourは
作者ランボー自らが
「地獄の季節」の「錯乱Ⅱ」「言葉の錬金術」の中に引用したために
より強い浸透力で世界中に広まりましたが、
日本でも小林秀雄の個性的な翻訳が
強烈なインパクトをもって伝播しました。

その小林秀雄が
「地獄の季節」の翻訳に先駆けて世に問うたのが
大正15年(昭和元年)に発表した
評論「人生斫断家アルチュル・ランボオ」でした。

ランボー批評と
同時並行的に翻訳は進められ
「小林秀雄のランボー」は浸透しました。

「最も高い塔の歌」は
このようにして
二重三重に案内され
ランボーの名前が広まるに従って広まりましたが
同時に
ランボーの「白鳥の歌」として読まれたために
ますます世界中の人々の記憶に
とどめられることになります。

ここで、
「地獄の季節」について
ランボー伝を著わした
マタラッソーとプティフィスの記録を引いておきましょう。

「地獄の季節」が
どのような「位置」にある書物であるのか、
手っ取り早く知っておいたほうがよいでしょうから。

ヴェルレーヌの言葉を借りれば、ダイヤモンドのような散文で書かれたこの「驚くべき自叙伝」は、単に一篇の詩作品であるばかりでなく、悲痛な精神的危機の証言である。これはまた「イリュミナシヨン」の鍵でもある。

近代の聖書といわれる「地獄の季節」は、ランボーの天才の絶頂を示すものだ。19歳にもならぬうちに書かれ、ベートーベンのような崇高な音楽的高揚を想わせるその驚嘆すべき頁には、天才の嵐が吹きまくっている。一条の聖なる光芒がランボーの受難史を照らしたのだ。これはおそらくフランス語で書かれた最も美しく、最も劇的な作品である。

(マタラッソー、プティフィス著、粟津則雄、渋沢孝輔訳「ランボーの生涯」筑摩叢書)

「最も高い塔の歌」をより深く読むことと
「地獄の季節」をどう読むかということとは切り離せないということになりますが
ここでは
ランボーの受難が
「地獄の季節」を書くことによって
「イリュミナシヨン」への一歩となったことを念頭に止めておきます。

ランボーが、
危機の中で聴いた
最も高い塔の歌――。

それが
どんな歌だったのかに
耳を澄ませます。

 *

 最も高い塔の歌

何事にも屈従した
無駄だつた青春よ
繊細さのために
私は生涯をそこなつたのだ、

あゝ! 心といふ心の
陶酔する時の来らんことを!

私は思つた、忘念しようと、
人が私を見ないやうにと。
いとも高度な喜びの
約束なしには

何物も私を停めないやう
厳かな隠遁よと。

ノートルダムの影像(イマージュ)をしか
心に持たぬ惨めなる
さもしい限りの
千の寡婦等も、

処女マリアに
祈らうといふか?

私は随分忍耐もした
決して忘れもしはすまい。
つもる怖れや苦しみは
空に向つて昨日去(い)つた。

今たゞわけも分らぬ渇きが
私の血をば暗くする。

忘れ去られた
牧野ときたら
香(かをり)と毒麦身に着けて
ふくらみ花を咲かすのだ、

汚い蠅等の残忍な
翅音(はおと)も伴ひ。

何事にも屈従した
無駄だつた青春よ、
繊細さのために
私は生涯をそこなつたのだ。

あゝ! 心といふ心の
陶酔する時の来らんことを!

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。編者。


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