誘蛾燈詠歌

ほのかにほのかに、ともっているのは
これは一つの誘蛾燈(ゆうがとう)、稲田の中に
秋の夜長のこの夜さ一と夜、ともっているのは
誘蛾燈、ひときわ明るみひときわくらく
銀河も流るるこの夜さ一と夜、稲田の此処(ここ)に
ともっているのは誘蛾燈、だあれも来ない
稲田の中に、ともっているのは誘蛾燈
たまたま此処に来合せた者が、見れば明るく
ひときわ明るく、これより明るいものとてもない
夕べ誰(た)が手がこれをば此処に、置きに来たのか知る由もない
銀河も流るる此の夜さ一と夜、此処にともるは誘蛾燈

と、つまり死なのです、死だけが解決なのです
それなのに人は子供を作り、子供を育て
ここもと此処(娑婆(しゃば))だけを一心に相手とするのです
却々(なかなか)義理堅いものともいえるし刹那的(せつなてき)とも考えられます
暗い暗い曠野(こうや)の中に、その一と所に灯(ともし)をばともして
ほのぼのと人は暮しをするのです、前後(あとさき)の思念もなく
扨(さて)ほのぼのと暮すその暮しの中に、皮肉もあれば意地悪もあり
虚栄もあれば衒(てら)い気もあるというのですから大したものです
ほのぼのと、此処だけ明るい光の中に、親と子とそのいとなみと
義理と人情と心労と希望とあるというのだからおおけなきものです
もともとはといえば終局の所は、案じあぐんでも分らない所から
此処は此処だけで一心になろうとしたものだかそれとも、
子供は子供で現に可愛いいから可愛がる、従って
その子はまたその子の子を可愛がるというふうになるうちに
入籍だの誕生の祝いだのと義理堅い制度や約束が生じたのか
その何れであるかは容易に分らず多分は後者の方であろうにしても
如何(いか)にも私如き男にはほのかにほのかに、ここばかり明(あか)る此の娑婆というものは
なにや分らずただいじらしく、夜べに聞く青年団の
喇叭(らっぱ)練習の音の往還(おうかん)に流れ消えゆくを
銀河思い合せて聞いてあるだに感じ強うて精一杯で
その上義務だのと云われてははや驚くのほかにすべなく
身を挙げて考えてのようやくのことが、
ほのぼのとほのぼのとここもと此処ばかり明る灯(ともし)ともして
人は案外義理堅く生活するということしか分らない
そして私は青年団練習の喇叭を聞いて思いそぞろになりながら
而(しか)も義理と人情との世のしきたりに引摺(ひきず)られつつびっくりしている


あおによし奈良の都の……

それではもう、僕は青とともに心中しましょうわい
くれないだのイエローなどと、こちゃ知らんことだわい
流れ流れつ空をみて赤児の脣(くち)よりなお淡(あわ)く
空に浮かれて死んでゆこか、みなさんや
どうか助けて下されい、流れ流れる気持より
何も分らぬわたくしは、少しばかりは人様なみに
生きていたいが業(ごう)のはじまり、かにかくにちょっぴりと働いては
酒をのみ、何やらかなしく、これこのようにぬけぬけと
まだ生きておりまして、今宵小川に映る月しだれ柳や
いやもう難有(ありがと)って、耳ゴーと鳴って口きけませんだじゃい


やまとやまと、やまとはくにのまほろば……

何云いなはるか、え? あんまり責めんといとくれやす
責めはったかてどないなるもんやなし、な
責めんといとくれやす、何も諛(へつら)いますのやないけど
あてこないな気持になるかて、あんたかて
こないな気持にならはることかてありますやろ、そやないか?
そらモダンもええどっしやろ、しかし柳腰(やなぎごし)もええもんどすえ?
(ああ、そやないかァ)
(ああ、そやないかァ)

5 メルヘン

寒い寒い雪の曠野の中でありました
静御前(しずかごぜん)と金時(きんとき)は親子の仲でありました
すげ笠は女の首にはあまりに大きいものでありました
雪の中ではおむつもとりかえられず
吹雪は瓦斯(ガス)の光の色をしておりました

×

或るおぼろぬくい春の夜でありました
平(たいら)の忠度(ただのり)は桜の木の下に駒をとめました
かぶとは少しく重過ぎるのでありました
そばのいささ流れで頭の汗を洗いました、サテ
花や今宵の主(あるじ)ならまし

(一九三四・一二・一六)


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ひとくちメモ

(一九三四・一二・一六)の日付を持つ
「誘蛾燈詠歌」(ゆうがとうえいか)は、
長男・文也誕生の直後の作品です。

文也の誕生は、
1934年10月18日(昭和9年)ですから
その、およそ2か月後に、
この長い詩篇は書かれました。

たとえば、
詩人として立つ、ということへの
他者からの反発……。

山口の実家に帰って、
村の青年団からの誘いでもあったのでしょうか、
いや、実際に誘いがあったかどうか、
なんてことは、
詮索(せんさく)してもはじまりませんが、

すでに15年戦争に入った
昭和初期の地方に
第一子誕生で帰郷した詩人へ
アドバイスという名目の
しめつけの類があっても
不思議ではありません。

中原家および周辺が
いかに進歩的・開明的であろうとも、
村落共同体の暑苦しさ
とでもいえるようなことは
たとえ、実際に
そんなことがなかったにしても
この「都会的な詩人」に
感じ取られなかったわけがありません。

と、つまり死なのです、死だけが解決なのです

という、
第2章の冒頭の1行を、
だからといって、
義理人情共同体の
しがらみからの解放は
死しかない、と歌っている、
などと読むのはとうてい無理です。

この詩は、
どのような経緯で作られたのか……
第一子誕生の直後なのに
なぜ? と、
疑問に感じる人もいることでしょうが、
「死」は、
詩人の、
早い時期からの「テーマ」だったことを
忘れてはいけません。

長男誕生のこの時に
突然、「死」が現れたのでは
ありませんし、
むしろ、「死」は
詩人の中に、
若き頃から常にあった
と言ってもよいほどのテーマでした。

「誘蛾燈詠歌」の1で
歌われている誘蛾灯は、
夕べ誰(た)が手がこれをば此処に、置きに来たのか知る由もない
と、あるように、
手運びのできる、
木製の装置であったようです。
農薬の普及する前は
ほとんどの米作り農家が使い、
害虫対策の道具にしていたそうです。

光源は
電気だったのでしょうか
火だったのでしょうか

稲田にあり、
秋の夜長の一夜、
銀河の見える澄んだ夜空、
真っ暗闇に、皓々と、そこだけ明るい
誘蛾灯の灯が灯(とも)っているのです。

灯りに誘われて
集まってくる
虫たちの、
賑やかながら
はなかい乱舞……。
祭のようでもあり、
まるで、人生がここにある、とでも
詩人は感じ取ったのでしょうか。

生命・生存の秘密とかを
感じ取ったのでしょうか。
生のうらはらにある死を
感じ取ったのでしょうか。

と、つまり死なのです、死だけが解決なのです

――の「と、」は、
というように、とか
いま見てきたように、とかの意味で、
前を受けていることは
明らかです。

詩人は
銀河を背景にして誘蛾灯の灯る光景に
生と死のメタファーを
見たのです。
生(死)のシンボル
といってもいいかもしれません。

それは
世の中の人々が
なんの疑念を抱くこともなく
行っている日々の暮らしの
その1断面であり、
その全体でもあります。

誘蛾灯は
人の営みそのものであり
そこには、
人の生と死のすべてが
凝縮されてあります。

秋の夜長にしては
虫の音が聞こえてこない
静かな世界が広がっています
真っ暗の静寂(しじま)に
誘蛾灯のところだけが明るい。
その光景を包んで
銀河が流れている

この光景の全体を
俯瞰している眼差しが
詩人の眼差しです。

銀河の果てには
宇宙の果てには
遠い遠い空の
奥の奥には……
広大な死の世界が広がっているように
詩人には見えたのでしょうか。

万物の行き着く果て
だれしもが行き着くところ
眼前の光景は
宇宙の真理を
人の世の摂理を
明確に示しています。

そうです。
行き着くところは
畢竟(ひっきょう)、
死の世界です。
死は、
解決でもあるのです。

それなのに人は子供を作り、子供を育て
ここもと此処(娑婆しゃば)だけを一心に相手とするのです

この、
それなのに、には、
それだから、というニュアンスが
含まれていることでしょう。

人は、死すべき存在です、
ゆえに、人は、子どもを作り、子どもを育て、
娑婆に生きるのです、
と、詩人は、
生存へのウィ(Yes)を記します。
死ぬことを知っているから
人は一生懸命生きるのですが……。

「誘蛾燈詠歌」は、
未完成の草稿ですが、
草稿というよりも、
タイトルが詩人によって
考えられた、
完成間近の作品とも
みなすことができます。

と、つまり死なのです、死だけが解決なのです

この1行の読みを
どうするか、が、
「誘蛾燈詠歌」の読みを左右します。

あたかも、
死の讃歌であるかに誤解する向きが
生じないともいえない
この1行は,
この1行を単独で解釈しようとするときに
陥りやすいワナですが、

第1章、第2章と、
分かちがたく連続している
作品というものの全体性から
視点を外さない限り、
間違えることはないでしょう。

暗い荒野に
(誘蛾灯を灯すように)
娑婆の暮らしが営まれるのは、
義理堅く、刹那的とさえいえるのですが、
その暮らしの中には
皮肉もあれば、意地悪もあり
虚栄もあれば、衒いもあり、
義理あり、人情あり、心労あり、希望あり、
ありとあらゆる善悪あり、
なんでもあるのです。

同列に置きがたいことを
同列に置くところが
面白いところというか、
中原中也一流でして、
なんでもが行われるところが娑婆だ、
という表現なのですが、
中に、希望が入っていることに
注目したいものです。

おほけなき、は
大胆である、という原義から、
器が大きいとか、
容量が大きい、とか
なんでもあるのです、といった
意味が込められています。

子どもを育てるというのも
この娑婆の中でのことで
考えれば考え尽きないのですが、
通りから青年団のラッパの音などが聞こえてくると、
銀河(=死の世界)のことを思っているだけで
胸がいっぱいになっているのに、
その上に、
国を守る義務
村を守る義務だなんて聞こえてくると
驚くばかりです。

詩人には、
青年団のラッパに、
戦争の足音が
聞こえています。
反戦の意思を
中原中也は、
このように表現するのです。
このようにしか表現しないのです。

この詩が、完成すれば
「春日狂想」にも並ぶ大作に
なったかもしれません。
完成間近でありながら
おおよその構想は
感じ取ることができる
スケールの大きい作品です。


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