ブリュッセル

      七月。レジャン街。

快きジュピター殿につづける
葉鶏頭の花畑。
――これは常春藤の中でその青さをサハラに配る
君だと私は知っている。

して薔薇と太陽の棺と葛のように
茲に囲われし眼を持つ、
小さな寡婦の檻!……

      なんて

鳥の群だ、オ イア イオ、イア イオ!……

穏やかな家、古代の情熱!
ざれごとの四阿屋。
薔薇の木の叢(むら)尽きる所、蔭多きバルコン、
ジュリエットよりははるか下に。

ジュリエットは、アンリエットを呼びかえす、
千の青い悪魔が踊っているかの
果樹園の中でのように、山の心に、
忘られない鉄路の駅に。

ギターの上に、驟雨の楽園に
唱う緑のベンチ、愛蘭土の白よ。
それから粗末な食事場や、
子供と牢屋のおしゃべりだ。

私が思うに官邸馬車の窓は
蝸牛の毒をつくるようだ、また
太陽にかまわず眠るこの黄楊(つげ)を。

      とにまれ

これは大変美しい! 大変! われらとやかくいうべきでない。

――この広場、どよもしなし売買いなし、
それこそ黙った芝居だ喜劇だ、
無限の舞台の連なり、
私はおまえを解る、私はおまえを無言で讃える。


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ひとくちメモ

第2次ベリション版「ランボー著作集」のうち
中原中也が翻訳したにもかかわらず
「ランボオ詩集」に収録しなかった4篇の一つが
「ブリュッセル」Bruxellesです。

大学ノート5枚(10ページ)を
ホッチキスで綴じたものが
中原中也によって残されていて、
このノートを「翻訳詩ファイル」と呼んでいます。
このファイルに2ページにわたって記されています。

第10行、
鳥の群だ、オ イア イオ、イア イオ!……
――が
「山羊の歌」中「初期詩篇」の「冬の雨の夜」第8行、
aé ao,aé ao,aéo éo
――連想させ、
早い時期のランボー受容と見られます。
確証できる証拠はありませんが
この言葉使いそのものが語っている関係は明らかです。

また、ファイル中の詩篇の末尾には
「この詩には想像が乏しい。ランボオの旅行先ってのは蓋してこのざまなんだ」とあるのが
抹消されているそうですが、
この評価が
「ランボオ詩集」未収録の理由なのかも断定できません。
(「新編中原中也全集」第3巻 翻訳・解題篇)

「常春藤」は、「きづた」
「茲に」は、「ここに」
「四阿屋」は、「あずまや」
「愛蘭土」は、アイルランド
「蝸牛」は、「かたつむり」ですが
詩人によるルビはなく、
「叢(むら)」「黄楊(つげ)」だけにルビが振られています。

<新漢字・歴史的かな遣いによる>
ブリュッセル

      七月。レヂャン街。

快きジュピター殿につゞける
葉鶏頭の花畑。
――これは常春藤の中でその青さをサハラに配る
君だと私は知つてゐる。

して薔薇と太陽の棺と葛のやうに
茲に囲はれし眼を持つ、
小さな寡婦の檻!……

      なんて

鳥の群だ、オ イア イオ、イア イオ!……

穏かな家、古代の情熱!
ざれごとの四阿屋。
薔薇の木の叢(むら)尽きる所、蔭多きバルコン、
ジュリエットよりははるか下に。

ジュリエットは、アンリエットを呼びかへす、
千の青い悪魔が踊つてゐるかの
果樹園の中でのやうに、山の心に、
忘られない鉄路の駅に。

ギタアの上に、驟雨の楽園に
唱ふ緑のベンチ、愛蘭土の白よ。
それから粗末な食事場や、
子供と牢屋のおしやべりだ。

私が思ふに官邸馬車の窓は
蝸牛の毒をつくるやうだ、また
太陽にかまはず眠るこの黄楊(つげ)を。

      とにまれ

これは大変美しい! 大変! われらとやかくいふべきでない。

――この広場、どよもしなし売買ひなし、
それこそ黙つた芝居だ喜劇だ、
無限の舞台の連り、
私はおまへを解る、私はおまへを無言で讃へる。

※底本を角川書店「新編中原中也全集」としました。ルビは原作にあるもののみを( )の中に表示しました。編者。

 


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