「中原中也が訳したランボー」のおわりに(1)

「中原中也が訳したランボー」のタイトルで
ランボーの詩を読んできましたが
一番はじめには、
「上田敏全訳詩集」(岩波文庫)に
ランボーの「酔ひどれ船」が訳出された、という「事件」があり、
中原中也が富永太郎や小林秀雄らを通じて初めて知った
ランボーのこの長詩「酔ひどれ船」を筆写した、という「事件」があり、
どうやら、後に小林秀雄が明らかにする「ランボーという事件」は
中原中也ばかりでなく、
あちこちで、様々な形で、色々な人に……
降りかかった「事件」であることを想像させるに十分な
(そして、2012年の今の今も続いている!)
言ってみれば、「巨大なマグマ」のようなムーブメントであることを
うっすらと予感させるものだった――という発見、
これもこのブログがぶつかった「事件」でありますから、
なんとか、この「事件」に面と向かっておこう
できるなら「事件」を読み解いてみようとして
とるものもとりあえずに
「ランボー&ランボー」というタイトルで出発した経緯があります。

これまでにおよそ1年かかりました。
中原中也がとらえたランボーの輪郭が
ようやく見えはじめた、といったところでしょうか。

「山羊の歌」や「在りし日の歌」や
生前発表詩篇や未発表詩篇や……
中原中也の創作詩の
ほんの一部を除いた大部分の詩(それは京都時代に作られたダダ詩を除いた詩ということです)が、
ランボーをはじめとして、ベルレーヌ、ラフォルグ、ネルバルらの
フランス詩の翻訳と平行して作られていた、という事実に
あらためて新鮮な驚きを覚えますが
それは時間をおいてみると
衝撃に変化していきます。

よくよく考えてみると
ダダ詩だけを書いていた詩人は
ランボーやベルレーヌ、ラフォルグ、ネルバルといった
フランス詩人の翻訳をはじめたのと同じ時期に
ダダ詩からの脱皮を図っていた、ということになります。

簡単に言えば、
フランス詩の翻訳を通じて
中原中也は自分の創作詩を作っていった、ということになります。

このことの中に
中原中也を見舞った「ランボーという事件」があったわけですが
この事件を通過した中原中也の詩を
どれほど読んできたかというと
かなり曖昧な態度であったことを認めざるを得ません。

そういう意味で
中原中也の詩は十分にはまだ読まれていない!
――という衝撃になります。


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