僕と吹雪

自然は、僕という貝に、
花吹雪(はなふぶ)きを、激しく吹きつけた。

僕は、現識過剰で、
腹上死同然だった。

自然は、僕を、
吹き通してカラカラにした。

僕は、現識の、
形式だけを残した。

僕は、まるで、
論理の亡者(もうじゃ)。

僕は、既に、
亡者であった!

祈祷(きとう)す、世の親よ、子供をして、呑気(のんき)にあらしめよ
かく慫慂(しょうちょう)するは、汝が子供の、性に目覚めること、
遅からしめ、それよ、神経質なる者と、なさざらん
ためなればなり。

(一九三五・一・一一)


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ひとくちメモ

「僕と吹雪」は
僕という貝についての考察の詩です。
貝である僕が
自然が放った花吹雪にさらされて
論理の亡者である自分を自覚した日々を
回想しています。

貝は
最近では
「僕が知る」(1935年1月9日制作)の
不死身で弾力に充ちた「乾蚫(ほしあはび)」と繋がり、
また
かなり前(1929年4〜5月制作推定)には
「山羊の歌」中の「夕照」第3連に

かかる折しも我ありぬ
少児に踏まれし
貝の肉。

とある「貝の肉」と繋がっています。

大岡昇平が
太平洋戦争に従軍中の戦地で
口ずさんだことで有名でもある
「夕照」の中の「貝の肉」を
「僕が知る」の「乾蚫(ほしあはび)」と
「僕と吹雪」の「僕という貝」と
3作並べて読んでみると
「貝」というメタファーの奥に
新たに見えてくるものがあるかもしれません。

その糸口になりそうなのが
「僕と吹雪」の中の「現識」です。

「僕と吹雪」には
ダダっぽい表現の中に
第2連の、現識過剰
第4連の、現識
と、2箇所で「現識」という語句が使われ
この聞きなれない言葉はなんだろう
と、多くの人が首を傾げ
立ち往生するに違いのないハードルになっています。

「現識」が
この詩のキーワードになっているのですが
この詩が書かれた1935年1月11日に前後する
1934年12月から同35年3月の間に書かれたと
推定されている「芸術論覚え書」の
次の一節に
その答えはあります。

芸術は、認識ではない。認識とは、元来、現識過剰に堪られなくなって発生したものとも考えられるもので、その認識を整理するのが、学問である。故に、芸術は、学問では猶更ない。

ここでは
「芸術」の定義が試みられているのですが
詩人は
「学問」と対比して「芸術」をとらえ
「学問」が「認識」を整理するものであるのに対し
「芸術」は「認識」とは別のもので、
「学問」ではなおさらない、と
主張しています。

「名辞以前」とか
「身一点に感じる」とか
「エラン・ヴィタール」とかに通じる
芸術論の一つです。

芸術=詩は、学問ではない
という主張は
中原中也という詩人の
譲ることのできない「聖域」みたいなもので
このことで
色々な人と議論を戦わせ
時には
取っ組み合いの喧嘩をしたであろうことが想像される
芸術論の根幹でした。

現識は
認識にいたるまでの
認識の前段階をさし

僕は、現識過剰で、
腹上死同然だつた。

は、摂取した知識が未整理のままで
学問にさえならなかったので
快楽の絶頂で死んでしまった状態と同じだった、
というような意味です。

現識は
それ自体、不快なものではなく
終わりのない快楽をともないますから
熱中し
耽り
過剰になりがちです。

詩人も
「お勉強に淫(いん)していた」ときがあったのです。
そんな状態であったおのれの過去を
詩人は、
論理の亡者として
裁断するのです。

そして
詩の末尾では
世間の親に向けた
メッセージを送ります。

世の親たちよ
子どもたちを呑気に育てなさい
そうすすめるのは
あなたの子の
性(セックス)へ目覚めを早まらず
そうすれば
神経質な者にはならないからです。

現識過剰で、
腹上死同然だった
詩人は
論理の亡者であった過去、
神経質な者であった自分と
決別しました。

それというのも
僕という貝に
自然が
花吹雪を
激しく吹きつけたからです、
というところが
この詩のミソなのかもしれません。


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