春の消息

生きているのは喜びなのか
生きているのは悲みなのか
どうやら僕には分らなんだが
僕は街なぞ歩いていました

店舗(てんぽ)々々に朝陽はあたって
淡い可愛いい物々の蔭影(かげ)
僕はそれでも元気はなかった
どうやら 足引摺(ひきず)って歩いていました

生きているのは喜びなのか
生きているのは悲みなのか

こんな思いが浮かぶというのも
ただただ衰弱(よわっ)ているせいだろか?
それとももともとこれしきなのが
人生というものなのだろうか?

尤(もっと)も分ったところでどうさえ
それがどうにもなるものでもない
こんな気持になったらなったで
自然にしているよりほかもない

そうと思えば涙がこぼれる
なんだか知らねえ涙がこぼれる
悪く思って下さいますな
僕はこんなに怠け者

(一九三五・四・二四)


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ひとくちメモ

「春の消息」は
「大島行葵丸にて」と同じ日
1935年4月24日に
作られました。

タイトルははじめ
詩の冒頭行の
「生きてゐるのは喜びなのか」でした。

「大島行葵丸にて」に
詩人は
甲板から唾(つば)をポイと吐き
この唾が
悪い病気の兆しを思わせるのですが
この詩にも
第4連に

こんな思ひが浮かぶといふのも
たゞたゞ衰弱(よは)(つ)てゐるせいだろうか?

とあり
同じように
体調の思わしくないことを歌います。

この頃
詩人は妻子を故郷に残し
単身で先に上京していました。

「大島行葵丸にて」と同じように
吾子(わが子)の顔が
思い出されていたのかもしれません。


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